08.おめでとうが欲しい
「少し良いだろうか?」
レフォールは血の近い従兄に声をかけた。
伯爵公子の青鈍色の瞳に、一瞬だけ理知的な光が宿った。
それはすぐさま穏やかな光に戻る。
「もちろんだよ」
婚約したばかりの青年は微笑んだ。
「突然のことで驚いてる」
人払いのすんだ部屋でレフォールは切り出した。
「君に比べれば、多くの人間は『突然』婚約するものだよ」
ゆったりと長椅子に腰かけ、従兄は言った。
「違うかい?」
青鈍色の瞳が問う。
「確かに」
一理あったので、レフォールはうなずいた。
白薔薇姫のこめかみに現れた痣が、ただの痣ではない。
消すことはできないローザンブルグ一族の証だと判明した瞬間には、国王の胸の内は決まってしまったのだろう。
ローザンブルグ公爵家の血筋に嫁す、と。
為政者として正しい判断だ。
第一王女として他国に嫁がせてはいけない。
それは危険な賭けであり、王権親授を謳う国であれば避けねばいけない事態だ。
国王と公爵の間に、密やかな約束が結ばれ、あの日を迎えた。
知らぬは当事者たちばかり。
「筋書きを書いたのは、父上だろうか。
ロマンティストでいらっしゃる」
レフォールは言った。
第一王女に出会うまで、知らなかった。
言葉を交わしているうちに、それは予感となった。
謁見の間で聖徴を見たときには、確信となった。
それでも、急な話だと思った。
親としてあまりに情のない話だと感じた。
「愛のない結婚は不毛だ、とおっしゃるからね」
ペルシは長椅子のアームに、肘を置き頬杖をつく。
重苦しい意匠の長椅子が、王宮に置かれている優美なそれに見えてくるような仕草だった。
かつて、公爵家よりも大きな領地を得ていたレインドルク伯爵家。
その血族にふさわしい気品があった。
「きっとレインドルクの血だろう。
我が一族と来たら、夢ばかりを描いている」
レインドルク伯爵公子は告げる。
ローザンブルグ本家は先代――レフォールたちにとって祖父に当たる人物が、レインドルク直系の姫君を妻に迎えた。
レインドルク家は血族結婚を好む。
法で定められている近親婚の限界に当たる従兄妹婚をくりかえし、その身に流れる血は始祖レコリウスに最も近いと言われている。
それを証明するように女性のみにしか現れない異能が、男性にも出現する。
弊害は大きい。
子どもが授かりづらく、育ちにくい。
成人しても、心まで大人にならないことがしばしあり、奇行の持ち主も多い。
現公爵の『愛のない結婚は不毛だ』という口ぐせも、国一番の貴族としては充分に奇異な言動だろう。
レフォールはためいきをついた。
「愛は見つけられたかい?」
ペルシがからかうような口調で言った。
「父上が描いている夢とは異なるかもしれない」
筋書き通りに事が運ぶことは稀だ。
レフォールは運命的だと錯覚する前に、父たちの思惑に気がついてしまった。
「人それぞれだよ。
同じ夢を見る必要はないだろう」
「ただ」
青年は白薔薇姫と呼ばれる乙女の姿かたちを思い浮かべた。
たおやかで、清楚な一重の白い薔薇。
棘も持たずに咲く。
「世界で一番、美しい女性だと思っている」
レフォールは答えた。
姿だけでなく、そこに宿る心すら、美しいと思う。
「少し安心したよ。
君にもレインドルクの血が流れてるって、ね」
従兄は大げさに肩をすくめた。
「話を戻しても良いだろうか?」
レフォールは質問した。
「ああ、私の婚約の件かい?
唐突だとか、急な話だとか、なんだかんだと言われそうな気がするね。
事実その通りだよ。
伯爵公子としては軽々しい……と思ったけれど、レインドルク家なら仕方がないと噂されるかな?
結婚を急がなくてはいけない理由がありそうな感じがするだろう?」
ペルシは陽気に言った。
「私の従兄は敬虔な信者だ」
青年は眉をひそめた。
ローザンブルグ地方で、最も忌むべき行為を犯したとは思えない。
王都から離れ、信仰に篤く、保守的だから守られている伝統ではない。
聖レコリウスの血は災悪を招くゆえに、慎重になるのだ。
「一般的には、そっちを思う。
ずいぶん、レフォール殿も王都に染まってきたね」
レインドルク伯爵公子は失笑した。
「理由はこっちだよ」
ペルシは首筋を軽く叩く。
ちょうど、従兄の聖徴がある辺りだった。
「不注意から見られてね」
軽い調子で言う。
だが、従兄が軽率な人間ではないことをレフォールは知っていた。
王都に三年の遊学が許されたのだ。
レインドルク家の直系で異能の持つ主でありながら、ローザンブルグの外に出られた。
秘密を守るだけの行動力と忍耐力がある。
そう公爵たちは評価したという。
「沈黙の誓いを立てるのでは足りないのだろうか」
「公爵はそう思わなかったようだ」
ペルシは声を潜めた。
レフォールは従兄の顔をまじまじと見る。
青鈍色の双眸には優しい笑みが浮かんでいた。
「ガルヴィ嬢は、私に歌を聞かせてほしいと言ったよ。
充分な答えだと思っている」
歌に異能が宿る青年は言った。
ローザンブルグ娘の感情が天候を左右するのなら、彼の歌声は人の感情を左右させる。
それゆえに恐れられ、それゆえ遠ざけられ、それゆえ疎まれ、それゆえに話すことすら禁じられた時もあったという。
「人の数だけ、夢はあるんだ。
愛だって、その数だけあるよ」
ペルシは嬉しそうに言う。
伯爵が選んできた女性なら、どんな女性でも妻にする。
捨て鉢だったときとは違う表情をしていた。
当たり障りのない笑顔ではなく、自然と浮かんでいる喜色。
「婚約おめでとう」
レフォールは心から言った。
「ありがとう。
今日一番、欲しかった言葉だ」
欲しいものを全部、手に入れた子どものように、従兄は笑った。