春うららかに
春らしい温かな風が、頬をくすぐる。
回廊から見える園林は、色とりどりの花が咲き誇っている。
甘く優しい香りがほろほろと零れ、通る者を夢心地へと誘う。
強すぎない陽射しは、それらを全て包み込む。
誰もが恋焦がれる季節が、ここ金華にもやってきた。
「本当に、暖かくなった」
青年は誰もいないことを良いことに、ぽつりと呟いた。
園林の梅も、もう名残り。
これからはどんどん暑くなっていく。
今年も豊作になって欲しいと、青年は思った。
「失礼いたします」
房の前まで来ると、丁寧に礼をとる。
「鉛白!
待ってたわ、さあ始めましょう」
少女はこちらの顔を見ると、破顔する。
純粋な好意を向けられて、鉛白も笑う。
「はい」
頷くと、少女もまた笑った。
丹 英華。
御年十二。
まだ成人の儀は終えていないが、次代の金華州を背負う御仁。
この天音国には八つの州が存在し、その統治は朝廷から州の長『州長』に任されている。
州長は国の長である、帝の血を分けた一族に与えられた官位。
その理は、決して崩されることはない。
少女もまた、その州長の一人の娘であり、次期州長であった。
「今日はどんなことを教えてくれるの?」
瞳を輝かせながら、英華が問う。
学ぶことが楽しいと、表情が語る。
青年は持っていた竹簡を卓に置く。
「英華さまは勉強熱心でいらっしゃいますね」
そう言うと、少女は首を横に振る。
「違うわ、鉛白の話が楽しいだけ。
他の人のは面白くないもの」
「嬉しいお言葉をありがとうございます」
「あら、本当よ。
お世辞は言わないわ」
少女は、真っ直ぐにこちらを見つめる。
柘榴石のように美しい瞳は、一点の曇りもない。
「私は、そんなに嬉しそうに見えませんか?」
ふっと声をもらすと、英華は申し訳なさそうな顔をする。
くるりくるりと変化する表情は、見ていて楽しいと感じる。
「そういう訳じゃあないのよ。
それで、今日は何のお勉強?」
「今日は論語です。
お気に召していただけたら良いですが」
「安心して。
鉛白のお話は大好きだから」
「光栄です」
屈託なく微笑む少女を見て、青年も目を細めた。
春うららかな日の一時。
二人の物語はまだ、始まったばかり。