「私は恵まれているわ」
そう言った緑の瞳は、陸遜を見ていなかった。
再生を意味する色の瞳は、院子の木蓮をにらみつけていた。
春は、まだ浅い。
枝に咲く芙蓉の花の蕾は、固い。
そよと吹く風が、それよりも淡い色の花弁を宙へと舞い上げる。
麗らかな季節、なよやかな桃花が乱れ散る。
少女は、一番に飛び出していくようなおてんば姫だったが、この日は少し違っていた。
雪のように白い服をまとい、部屋の中で静かにすごしていた。
傍らに控えていた少年は、少女の言葉の続きを待つ。
「この歳まで生きてきた。
大きなケガをしたこともないし、病気だってしたことないわ。
姫と呼ばれ、かしずかれて。
我がままを言っても、誰も叱らないし。
たいていのものは手に入ったわ」
少女は言う。
その声は、震えていた。
猛禽に狙われた子兎のように、身を震わせていた。
細い肩をそっと抱きよせ、「怖いことなどない」と声をかければいいのだろうか。
そうではない。
少年は知っていたから、少女の話に耳を傾ける。
「私は幸せよ。
みんなから愛されたもの。
想いの分、返してもらったわ。
父様も……兄様も」
振り返った緑の瞳が陸遜を見る。
「こんな時代だわ。
戦で父を失うのも、兄を失うのも……珍しいことじゃなくって。
だから、だからっ……。
当たり前のことで、良くあることで。
わた……しは、恵まれてるの……よ」
矢のように真っ直ぐ胸に届くその言葉は、強がりでしかない。
堅く握りしめられた両拳、震える肩、食いしばる口、涙をたたえる瞳。
泣くまい。
そう思っているのが伝わる。
ズキッと少年の胸が痛む。
「姫」
できるだけの想いをこめて、陸遜は呼ぶ。
その肩を抱きよせることはできないから、せめてもと。
自分の言葉で彼女の痛みを包み込めるように、と陸遜は言う。
「本当に恵まれている方は、そうやって何度も確認しませんよ」
傷ついた、と緑の瞳は雄弁に語る。
事実は痛みを伴う。
それを突きつけるのは、ひどく心苦しかった。
が、陸遜は表情一つ変えずに言葉を続ける。
「泣いても良いんですよ。
あなたの大切な人がいなくなってしまったんですから」
「できないわ!」
語気とは裏腹に、尚香は弱々しく首を振った。
明るい色の髪に表情が隠れる。
うつむいたまま少女は、言う。
「悲しいのは私だけじゃない。
私だけじゃないのよ……」
だから、泣けない。
「その悲しみは、あなただけのものですよ。
泣いてください」
願わずにはいられないから、少年は言った。
自分の心のままに振舞ってほしい。
気持ちを曲げないでほしい。
何故なら、たった一つの夢なのだから。
少女の生き方は、少年が心に描いた夢だった。
「できないわ」
尚香は断言した。
強い光を宿した双眸が陸遜を見据える。
夢から覚める刻がきた。
緑の瞳は潤みながらも、涙をこぼすことを拒む。
陸遜の善意を振り払う。
少年の夢は脆く、砕け散った。
そして、陸遜は孫尚香に恋をした。
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