05:命

 穏やかな、変わりのない日常が続く。
 カラカラと糸車は、回り続けているのに。
 昨日の続きの今日が来る。

 それは使い古された言葉では片付けてはいけない。
 紫色の瞳を持つ少女は知っていた。


 夜遅く、控えめなノックの音が響いた。
 部屋の主である王太子殿下は、思案を顔に浮かべたが、扉を開いた。
 訪問者に心当たりがあったのだ。
 廊下にたたずんでいたのは予想通りの人物。
 自分とよく似た色の瞳を持つ少女だった。
「ディアーナ」
 セイリオスは妹の名を口に乗せた。
 ビクッと少女は肩を揺らし、そろそろと顔を上げた。
 すべらかな頬から赤みは消え失せ、紙のように白い顔。
 紫色の瞳は真剣な光を宿していた。
 まるで何かに決意したような表情だった。
「こんな時間にどうしたんだい?」
 セイリオスはできるだけ優しい声でたずねた。
 少女は口を開いては、閉じ、声にならかったためいきをつく。
「ゆっくりと話を聴こう。
 入りなさい」
 セイリオスは室内に招きいれ、椅子を勧める。
 妹は逆らうことなく、大人しく座った。
 行儀よく膝に乗せられた手は、祈るように組まれて、かすかに震えていた。
 向かい側の椅子に腰を下ろすと、セイリオスは微笑んだ。

「ディアーナ。
 怖い夢でも見たのかい?」
 妹に甘い兄は尋ねる。
 ディアーナは静かに首を横に振った。
 何度かのためらいの後に、少女はようやく口を開いた。
「お兄様」
 と、一言を言うためにずいぶんと、思いつめていたようだった。
 明晰な王太子は、理解してしまった。
「呼びづらいなら、好きな呼び方をすると良い」
 青年は困ったように、それでも微笑んだ。
「そんなこと!……ないですわ」
 弱弱しくディアーナは言う。

 ずっと兄妹信じてきた関係は、脆くも崩れた。
 ほんの少し前の事件。
 厳重な緘口令が敷かれたため、それを知る者は少ない。
 一番知られたくなかった人物に、知られてしまった今、何を隠すと言うのか。
 セイリオスにはわからなかった。

「私、お兄様と呼んでもよろしいですの?
 お兄様は、お兄様ではないのですわ。
 それでも……呼んでもかまいませんの?」
 ディアーナは言った。
「兄と認めてくれるんだね。
 今まで通り、そう呼んでくれると嬉しいよ」
「もちろん、セイルお兄様は私のたった一人のお兄様ですわ!」
 高らかに少女は断言した。
 セイリオスの胸の泉に感動が湧き起こる。
 このときのために、自分は頑張ってきたのだろう。
 肩に乗せられた責が、ふっと軽くなったような気がした。
「ありがとう、ディアーナ」
 万感の思いをこめて言う。

「でも、ですわ。
 ……お兄様は、とっても苦労なさっていますの。
 お兄様の本来の仕事ではなかったのに。
 この国のために、がんばっていますの」
 王族ではないのに、と少女は最後の言葉を飲み込んだ。
「それが私の運命だったんだよ。
 苦労しているのは確かだが、張り合いのある仕事だよ」

「……運命、ですの?」

「ああ、そうだ。
 これが私の運命だ。
 誰かに命じられたわけではない。
 自分で選んだ道だ」
 セイリオスは微笑んだ。
「私ができることはありませんの?
 何かお手伝いできませんの?」
 ディアーナは真剣な面持ちで言った。
 守られるだけでは嫌だと。
 庇護の下から抜け出そうとする。
「ここにいるだけで、充分だよ」
「……お兄様。
 私は、もうすぐ一人前になりますわ」
「まだ、子どもだよ」
「次の春が来れば」
「だから、そのときが来るまで、子どもでいてくれないかい?
 兄として、甘やかしてやれるのは、あと少しだ」
 ディアーナの言葉を遮り、セイリオスは言った。
「だから、春まで。
 私の妹でいてほしい。
 すぐに夫を見つけて、私の元から離れていくんだ。
 ……寂しくならないように、ね」
 セイリオスは言葉を紡ぐ。

「はい、お兄様」
 ディアーナはうなずいた。
 納得はできないのに、わかってしまったから、少女はうなずく他なかった。
 卑怯なセイリオスはそれを見越して、言ったのだ。


 カラカラと回る糸車の中。
 運命という使い古された言葉で表現してはいけない。
 そんな日々の連続の、一夜のことだった。


配布元 [30*WORDS] ファンタステッィク・フォーチュンTOPへ戻る