「おとうさま。
お仕事、もうおしまい?」
幼子が危なげな足取りで父を出迎える。
「東郷。
待っていたのか」
曹丕は驚いた。
この歳の子どもであれば、眠くなる時間だった。
「あのね。
おとうさまを待っていたのよ」
「私も待っていました!」
幼女の声を遮るように、少年が言う。
母譲りの双眸が必死に訴える。
その瞳に、かつての自分を見出す。
昔、こうであったな。
父に話を聞いて欲しくて、眠らずに待っていた。
曹丕は苦笑いをする。
「そうか」
二人の子の頭を順番になでてやる。
自分が欲しかったもの。
自分が手に入れられなかったもの。
「一人ずつ、話を聞こう。
今日は何があったんだ?」
曹丕は言った。
子どもは満面の笑みを浮かべる。
まだ感情をつくろうことなど知らないから、素直に喜ぶのだ。
それを見て、曹丕まで幸せな気分になった。
暖かな色の灯火の下、曹丕は子どもたちの抱負を聞く。
年が明けてから、何かと忙しく、こんな時間を持つのは久しぶりであった。
「もっと、字のお勉強をします。
あのね。
おとうさまみたいにね。
さらさら書けるようになりたいの」
東郷は恥ずかしそうに言う。
「手習いを続けていれば、時期に書けるようになるだろう。
たゆまぬ努力は、実を結ぶ」
曹丕は言った。
「うん」
少女はコクンとうなずく。
「私は、書をもっと読み、己のものにしたいです。
もちろん、武術も真剣に取り組むつもりです」
曹叡は、張りつめた弦のような表情で言う。
「聖人の言葉を知り、自分なりに考えることは良いことだ。
学ぶことも多いだろう。
武術を学ぶことも、重要だ。
充実した一年になると良いな」
曹丕は言った。
「はい、頑張ります。
父上のように、立派な漢になりたいんです」
飴色の瞳をキラキラと輝かせて、少年は言う。
「そうか」
曹丕はうなずいた。
「まあ、二人とも眠ってしまったのですね」
月の輝きも失せて見える美貌の佳人が笑う。
甄姫は卓の上に茶器を置くと、長椅子の上で眠ってしまった子どもたちの衣をくつろがせてから、布団をかける。
母親らしい細やかな世話に、曹丕はしばし見とれる。
憧れやまなかったものが、目の前にある。
天帝の描いた美しい絵がそこには、存在していた。
「お疲れでしょうに」
甄姫は微笑みながら、湯気の立つ茶碗を曹丕の前に置く。
「叡が、私のような立派な人間になりたいと言った」
「ええ。
阿叡にとって、憧れの父上ですもの」
甄姫は卓につく。
「昔、私もそう思っていた。
子を持つとは不思議だな」
しみじみと曹丕は言った。
父に頼られる漢に早くなりたかった。
学問も武芸も人一倍、努力した。
褒めて欲しくて始めたわけではなかったが、一度も褒めてもらえなかったことが引っかかり続けた。
気がついたときには、当初の純粋さは失われていた。
曹叡にはそうなって欲しくないと、曹丕は思った。
「思わぬ発見があったりしますわ。
為政者でも、軍略家でもない我が君を見るのは、ここだけですわね。
父親の顔をしている我が君も素敵ですわ」
花がほころぶような笑み。
「良き父だろうか?」
「子どもたちの表情が答えですわ」
「なるほど。
……甄、感謝している。
私に家族を与えてくれた」
曹丕は言った。
「正妻の当然の務めですわ」
「だが、全ての子が良き子とは限らぬ。
二人の子らが心身ともに健やかなのは、甄の手柄であろう」
「私だけの手柄ではありません。
我が君の子でもありますもの」
甄姫は言った。
得がたい女人だと、曹丕は再確認する。
つまらないこだわりや、劣等感が払拭されていく。
「そうだったな」
曹丕は微笑んだ。
「こうやって穏やかに一年、過ごせればよろしいですわね」
甄姫はためいき混じりに言った。
穏やかな時間を願うのは、動乱が定まらぬゆえ。
この時間が貴重と感じるのは、戦場こそが生活の基盤であるためだ。
「来年の今頃。
平穏が退屈と感じるぐらいになっていれば、良いであろうな」
曹丕は茶碗に手を伸ばした。
そのための戦だ。と、己を納得させる。
穏やかに過ぎていく時間の中で、曹丕は何度も確認する。
戦場に立つ、その理由を。
微妙に「止め処なく溢るる」に話がリンクしています
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