平穏で和やかな昼下がり。
姉は窓際で刺繍をしていた。
きっとそれは夫のための衣の刺繍だろう。
小喬は孫子兵法が記された竹簡をながめていた。
夫たちは、そろって遠征中だ。
まるで、結婚前に戻ったような日々だった。
小喬は目線を泳がせる。
「ねぇ、お姉ちゃん。
今日、泊まってもいい?」
ためらいがちに姉に尋ねた。
「周瑜様がいないから、独り寝は淋しい?」
姉は刺繍を続けながら問う。
「んー、あんまり変わらないかな」
小喬は竹簡を巻いていく。
なぐさめるように竹の音が響く。
「周瑜様はあたしよりも遅くまで起きてるし、朝は朝で早いし。
挨拶することもできない日もあるもん」
周瑜様は忙しすぎる。
小喬はためいきをついた。
「寂しいわね」
大喬が手を止めた。
「それで泊っていってもいい?」
小喬は再度、確認した。
姉が小喬を見つめ、微笑んだ。
「いいわよ。
侍女たちに声をかけてくるわね。
一緒の寝台の方がいいんでしょ?」
大喬は言った。
「やったー!」
小喬は胸の前でパチンと手を合わせる。
◇◆◇◆◇
本当に結婚前に戻ったようだ。
双子のように育った姉妹だった。
いつでも一緒だった。
小喬は天井をながめる。
「お姉ちゃん、起きてる?」
傍らの存在に尋ねる。
「どうしたの?」
少しだけ心配がちの声音。
「孫策様のこと、……好き?」
小喬はためらいがちに質問した。
「もちろん、お慕いしているわ。
故郷を離れるぐらいに、愛しているわ」
姉はキッパリと断言した。
「あのね。
……あたしも周瑜様のこと、……大好きなの」
「知っているわ」
あたたかな手が小喬の頭を撫でる。
「でも周瑜様に『大好き』っていうと、寂しそうな瞳をするの」
「小喬の勘違いじゃなくて?」
姉の優しい声。
柔らかな体温に小喬は後押しされる。
「周瑜様は、あたしのことを『愛している』というの。
さっきお姉ちゃんが言ったみたいに。
『大好き』じゃダメなのかな?」
小喬は天井を見据える。
「小喬は周瑜様のことが『大好き』で結婚したのでしょ?
それは伝えた?」
穏やかに姉が尋ねる。
「あたしも『愛している』と言った方がいいのかなぁ」
小喬は長く息を吐き出した。
「『愛している』ってわからない。
『大好き』じゃ足りないのかなぁ」
小喬の呟きに、大喬がクスクスと笑った。
「周瑜様にも『大好き』が伝わればいいわね。
小喬の『大好き』は一番って意味だって。
それとも『愛している』って言ってみる?」
「無理無理!
わからないものを周瑜様に言うことはできないよ」
小喬はあわてて言う。
「そう。もっと話しあうことが大切ね」
「お姉ちゃんも、そう思う?」
小喬は転がって、姉の瞳を見つめる。
あたたかい眼差しが小喬を見る。
「時間はたっぷりあるわ。
まだ結婚したてなんだから」
「そうだね」
小喬は目をつぶる。
いつの日か、周瑜様を寂しがらせずに胸を張って『愛している』といえる日が来るだろうか。
できるだけその日が早く来ればいい。
そんなことを思っていると、眠りの波がやってきた。
周瑜様が帰ってきたら、院子を散歩したい。
きっと手を繋いでくれるだろう。
幸せな日々が小喬にやってくるだろう。
傍らのぬくもりを感じながら、小喬は安心して眠りに落ちた。