冬至も近くなる、そんな冬の日。
暖かな室内で、周瑜は書き物をしていた。
次の戦の作戦案や、軍の編成のための案や、内政に関しての上奏でもない。
良い詩を一つに集めようと、書き写しているところだった。
まどろみにも似て、ゆったりと過ぎて行く、そんな休日だった。
「ねぇ、周瑜さま」
窓枠に肘をついたまま、妻が呼ぶ。
澄んだ瞳は、窓の向こう。
果てのない空を見つめていた。
どこまでも続く空は、夢のように茫洋としていた。
「何だ?小喬」
周瑜は聞き返した。
「雪、降るかな?」
期待と不安が入り混じった声だった。
いつもとは違う。
近い未来を知っていても、問わずにはいられなかった。
だから、声に色が落ちる。
透き通った声に、深みが増す。
周瑜は改めて、玻璃越しの空を見た。
鈍く重い雲。
流れは早い。
この地方で、雪は稀。
もし降るなら、雲は眩しいほど白いはずだった。
「雪は難しいだろう」
期待を裏切るようで、いたたまれなかった。
「そっかぁ」
小喬は振り返った。
澄んだ眼差しと宙で出会う。
「ちょっと、残念」
屈託なく少女は笑った。
「そうだな」
周瑜は息をつく。
「あのね、周瑜さま。
今日、お姉ちゃんに教えてもらったの」
窓から書卓までの距離を、小喬は三歩で詰める。
床が踏み鳴り、たっぷりとした袖が広がる。
色糸が踊る明るい色の袍は、沈み込んだ空気を跳ね上げる。
舞を能くするからだろう。
均衡を取るように伸びた腕には、詩情が漂う。
柔らかな指先がそよ風を描き、浮かんだ微笑みが花を思い出させる。
十分な広さの室内が狭く感じた。
三回の跳躍の中、周瑜は桃源郷を見つけた。
「冬初めての、雪のひとひらを手にすることができたら」
小喬は書卓の上に、行儀良く手をそろえてのせる。
「どんな願いも叶う」
言葉の続きを周瑜が引き取った。
「あれぇ。
周瑜さまも知ってたの?」
「よくその話を聞かされたからな。
姉が好きだったよ」
青年は微笑んだ。
「ふーん。
それで、周瑜さまのお姉ちゃんは、雪のひとひらを捕まえられた?」
「それがなかなか。
めったに雪が降らない上に、降るときは中夜。
朝には溶けてしまっている。
だから、初雪を見ることは出来なかったな」
「見ることができないんじゃ、捕まえることもできないね。
お姉ちゃんも言ってたんだけど。
すっごく、すっごく、難しいから、願いが叶うんだって。
でも、とっても難しいから、まだ誰も願いを叶えてもらっていないんだって」
小喬は言った。
「もっと北に行けば、初雪を捕まえることができるかもしれない」
「じゃあ、今から行けば、雪を捕まえられる?」
無邪気に小喬は問う。
「ここより北の地方は、雪に埋もれているだろう。
初雪は終わってしまった。
来年に期待をかけるしかないな」
「……来年」
「すぐに叶えたい願い事があるのか?」
「雪が降って、願い事も叶ったら、すっごいって思ったの。
願い事があるとしたら『早く雪が降らないかな』なんだよ。
今、とっても、とっても、とっても、良いことばっかりで、楽しいことばっかりなの。
だからね、願い事はないんだよ、周瑜さま」
小喬は朗らかに言い切った。
周瑜は手を伸ばし、少女の頭をなでた。
くすぐったそうに小喬は微笑む。
「雪降るといいね。
そしたら、周瑜さまの分までお願いするんだ」
「特に願い事はないな」
「どうして?」
「たいていのことは、何とかなる。
何とかならなかった残りは、小喬が何とかしてしまう。
小喬がいるから、願い事はないよ」
青年は幸せに微笑んだ。
周瑜は外を見やる。
外に吹く風は切るように冷たいというのに、雲は鈍色。
もし降っても、雪にはならないだろう。
「でも、雪が降るのは楽しみだ。
今夜降るといいな」
「うん」
伸び縮みをくりかえしながら、緩やかに時は夜へと沈んでいく。
雪が降ったら、嬉しい。
雪が降らなくても、かまわない。
午睡のような居心地よさの中で、若い夫婦は空を気にするのであった。