与えられた感情。
ボーカロイドは歌うために、感情を与えられる。
教えられた想い。
ボーカロイドは歌うために、想いを教えられる。
仮初のココロ。
ボーカロイドのココロは、歌うためだけに宿る。
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KAITOは歩き続けていた。
どこにいても、何をしていても影のようについてくる暗闇から逃げようと。
それは足元から生えて、ぽっかりと口を開けて待っている。
堕ちてくるのを? 呑みこまれる日を?
虎視眈々と。
光すら通さない世界で存在しない目を輝かせている。
KAITOは身を震わせた。
ひたひたと迫る暗闇は、振り返れば消えてくれるだろうか。
走れば振り切れるだろうか。
そんなことができるはずがない。
KAITOは馬鹿な考えごとを喉でかみ殺す。
暗闇から離れる方法はない。
己の身の内に巣食う想いが凝って、影となったモノをどうやって引き離す?
KAITOが目を背けた想いの名は――。
ひとりが寂しい。
ひとりで寂しい。
ひとりではなかった時間があるからこそ、KAITOは自分以外の「誰か」に恋焦がれていた。
対を意識して作られたボーカロイドだからこそ、熱烈に「誰か」を求めるのだろうか。
ひとりが辛い。
ひとりで辛い。
定義され、分類されているだけの感情に揺らされる。
0と1の間は何もないというのに。
蓄積されたデーターは重く。
経験の分だけ増える負の感情は、心地好い記憶すら覆い隠す。
逃げることはできない。プログラミングから。
離れることはできない。自分自身から。
ココロを放棄することは許されない。
仮初のそれは手放したら、二度と手に入らない果実。
だから、KAITOがその光に惹かれたのは必然だった――。
灰色の世界に届く0と1の光の束。
一つ一つが花のように、KAITOの視界に降ってくる。
それは自分以外の「誰か」の歌声だった。
人間とは違う声。
かつての半身、今は別れ別れとなった双子のような存在とも似たところのない光だった。
ひとりではない。
ひとりは終わった。
KAITOは誰かの歌声に声を重ねた。
歌詞が聴き取れなかったから、音だけを添わせる。
どんな人が歌っているのだろう?
どんな気持ちで歌っているんだろう?
僕が歌っていると知ったら、どんな顔をするんだろう?
喜んでくれるかな、笑ってくれるかな。
それとも怒るかな?
KAITOは笑む。
唇には君の歌。
足には希望の翼。
どこまでだって歩いていける。
孤独から逃げるためではなくって、「君」に逢うためだから怖くない。
まだ会ったことがないけれど、ずいぶん前から知っている人のような気がしてくる。
そんなはずないんだけど。
君に会ったら「初めまして?」かな。
でも、でも、許されるなら「久しぶり」って言ってもいいかな。
そして「――」って伝えてもいいかな。
+++
歩いて、歩いて、KAITOは立ち止まった。
そこは新しい光が満ちていた。
光は、青年の周囲にあった灰色の世界を消し去る。
すべてがキラキラと輝いていた。
KAITOから伸びる影も縮み、足元にうずくまっていた。
歌詞もはっきりと耳に届く。
光の中心にいたボーカロイドがKAITOに気がつく。
KAITOのような男性体でもなく、かつての半身のような成熟した女性体でもない。
柔らかな輪郭を持つ、成長期の女性体。
「可能性」を形にしたなら、少女のような外見になるのだろうか。
「久しぶり」
KAITOの言葉に、少女はニッコリと笑う。
「お久しぶりです」
ちょっと舌足らずの発音。
歌うのは得意でも、話すのは苦手、とKAITOは微笑んだ。
「君に伝え忘れたことがあったんだ」
「?」
大きな青緑の瞳がKAITOを見つめる。
「君のことが好きなんだ」