「そんなに頼りなさそうですか?」
遊び友だちは尚香の短い髪にふれた。
適度な距離を保つ少年には珍しいことだった。
バクッと尚香の心音が不吉なことを知らせる。
あたたかなはしばみ色の瞳が微笑む。
「大丈夫ですよ。
今度の戦も必ず勝利を孫呉に」
陸遜はきっぱりと断言した。
「私が姫に嘘をついたことがありますか?」
いつも通りの穏やかな口調。
遊び友だちは常に誠実でいた。
「約束よ」
すがる気持ちを隠して尚香は言った。
どうしても嫌な予感が胸の奥で眠っている。
それが表面化しそうだった。
「はい。約束です」
尚香の差し出した小指に陸遜は自分のそれを絡める。
ささやかに絡み合ったぬくもりが儚かった。
尚香は顔を上げた。
敵対する国の旗のような青い空が広がっていた。
紅蓮の焔で焼き尽くす。
孫呉の国旗のように。
「では、行って参ります。
こちらで吉報をお待ちください」
柔和な表情で陸遜は別れの挨拶をする。
尚香は女の身であることが悔しかった。
どれだけ武芸を磨こうと、大きな戦には出陣させてもらえない。
尚武の国でも、姫君には傷をつけたくないのだろう。
いずれか政略的に婚姻を結ばせる。
その時に傷物では困るだろう。
尚香は遊び友だちを笑顔で見送らなければいけない。
緑の双眸は深い色の瞳を見つめる。
力強い微笑みが浮かんでいた。
尚香は祈ることしかできない。
約束を信じることしかできないのだ。
◇◆◇◆◇
約束は半分だけ叶った。
孫呉は勝利した。
それなのに遊び友だちは寝台の上。
深手を負った少年の意識は戻らない。
じゃじゃ馬だと兄から笑われる孫呉の末姫は寝台から離れない。
「もう一度、大丈夫って言ってよ」
包帯が巻かれた腕を取って呟いた。
ぽつりぽつりと二人の手に滴が落ちた。
あの日、流せなかった分だけの涙が溢れ出した。
ふいに陸遜のまぶたが痙攣した。
はしばみ色の瞳が尚香を見つめて微笑んだ。
「勝ち戦でしたでしょう?」
少しかすれた声が言った。
それだけ長いこと生死の間をさまよっていたのだ。
「無事に帰ってくることを約束し忘れたわね」
少女は言った。
できるだけ明るい口調で。
なんでもないことのように。
尚香の涙を陸遜は空いている手で拭った。
「次からは気をつけます」
一つ歳下の少年は幸せそうに言った。
生命が奪わられなくて良かった。
尚香は陸遜の手を握りしめた。
生きている。
少女にはそれが嬉しかった。
戦場に出られない女の身だから、これからもこんな機会が増えていくのだろう。
陸家の当主として陸遜は孫家に忠誠心を見せなければならない。
「無理をしないで」
尚香は言った。
「姫の涙に誓って」
はしばみ色の瞳は穏やかに微笑む。
それが本心からなのか、作りものなのか。
尚香には判断できない。
お転婆姫に付けられた遊び友だちも、そろそろ卒業なのだろう。
大きな戦に出陣したのが証拠だ。
寂しくなる。
心の奥がキューッと絞りつけられたようで切なかった。
どうすることもできない自分自身が悲しかった。
陸遜が陸家の当主の座から離れられないように、尚香は孫呉の末姫の立場から離れられない。
「心配してくださって、ありがとうございます」
少年は礼を言った。
「当たり前でしょ。
あなたは大切な私の遊び友だちなんだから」
尚香は笑おうとして、失敗した。
涙が頬を伝った。
「どうすれば涙は止まりますか?」
少年は困ったように尋ねた。
「陸遜のせいで泣いているのよ。
早く元気になって、一緒に遊ぶまで……きっと、涙は止まらないわ」
尚香は、はっきりと言った。
だいぶ心は安定してきた。
「それでは、早く怪我を治さないといけませんね」
陸遜は苦笑いをする。
「約束よ」
何度破られようとも、くりかえせば永遠となる。
尚香は陸遜の手を離し、小指を差し出す。
「はい。約束です」
陸遜は小指を絡める。
包帯越しのぬくもりは生きている証のようで、尚香の双眸から一粒滴が落ちた。
それが最後のように、涙は止まった。
尚香はぎこちなく、笑顔を作った。
はしばみ色の瞳に安堵の光が宿った。
それを見た少女は、早く日常が帰ってくればいいと願った。