精神系のデリケートな話題を主題にしているので、苦手な方は注意してください。
直接的な表現はありませんが「死」が書かれています。
死にネタではありませんが、悲恋かもしれません。
茹で上がるような暑さを避けるように、少年は木陰に座っていた。
竹簡が膝の上に乗せられていたが、読んでいるようには見えない。
尚香が足音を消して近寄ると、陸遜は顔を上げた。
笑みを浮かべ、立ち上がろうとする陸遜を、尚香は仕草で制する。
残りの歩数を弾むように埋め、少女は少年の隣に座った。
置きっ放しになっていた少年の左手の平に、自分の右手を重ねる。
少し汗ばんだ手は見た目よりも大きくて、尚香は持ち主の目をまじまじと見つめる。
はしばみ色の瞳がうつろに微笑み返す。
暑いですね、とかさついた唇がささやいた。
返事の代わりに尚香は少年の肩に寄りかかった。
繋いだ場所から熱が這い上がり、全身を回る。
紅蓮の焔ではなく、炭火のような炎の見えない熱い火で焦がされていく。
居心地の良さと悪さの境界線にいるようだった。
先ほどまでは、微かに吹いていた風も淀み、暑さは増すばかり。
背中を汗が流れ落ちていく。
けれども、尚香は陸遜から離れなかった。
院子に咲く花を写していた瞳を閉じ、心音に耳を傾ける。
少しだけ早い自分の心臓の音が、相手に近づくように。
静かに。安らかに。何も考えずに。
「このまま死ねればいいのに」
「いいですよ」
独り言に返事が返ってきた。
瞼を開け、陸遜の目を見る。
秋の夕暮れに探し当てた一等きれいなはしばみのような瞳に、自分が映っていた。
「いいの?」
鏡に向かってそうするように、尚香は尋ねた。
「一緒に死ねたら幸せですね」
陸遜は薄く微笑んだまま言った。
「いいの?」
聞き違いだったら怖いから、もう一度訊いた。
「どこか。そうですね、戦場だったら紛れてしまうでしょうね。
一緒に死ねますよ」
長いこと雨が降っていないせいでひび割れてしまった大地のように。
乾燥した物言いだった。
己の死であるのに。
「本当にいいの?」
尚香は問う。
自分の死だからこそ、軽くなるのかもしれない。
命のやり取りを何度してきても、死ぬ瞬間というものが想像つかない。
一緒に死ぬ。
そんな淡く甘い夢を描く。
このまま、この延長上にある死。
「……もちろんです」
後押しするように少年はうなずいた。
「でも……きっと陸遜はできない。
私の好きになった陸遜はそんな人じゃないもの」
尚香は言った。
想像がつかないということは、そういうことだ。
「私の好きな姫も、そういうことをする人ではありませんね」
陸遜も言った。
「無理ね」
「無理ですね」
お互いに確認しあう。
私たちは一緒には死ねない。
どれだけ傍にいても、どれだけ肌を近づけても。
交わりあえない。一つにはなれない。
身分も立場も関係なく、ただそうであるという事実。
見えない壁があるのか、それとも見えない壁を積み上げていっているのか。
ふれあえない、わかりあえない。
それが苦く、それが悲しく、それが……大切であった。
二人だけにしか築けない関係。
それが糸に繋がらない関係であっても、他とは異なるということが素晴らしいように思えた。
「でも、言ってみたかったの」
尚香は明るく笑った。
「満足しましたか?」
「ええ。嬉しかったわ。
たとえ一瞬でも」
毒の杯を煽るような恋人たちのような会話ができて、嬉しかった。
おままごとのようだとしても、やってみたかった。
団扇よりも弓が似合うと褒められても、心にぽっかり穴が開くように。
誰だって一度は口にするようなことを言ってみたかった。
「そうですか。
私も嬉しかったです」
はしばみ色の瞳が泣きそうな光を湛えて、……笑った。
心に欠けた穴にピタリとはまる一片が、そこには存在した。
「陸遜?」
「一緒に生きましょう」
どれほど長い道のりであっても。
どれほど険しい道のりであっても。
交差することのない二本の道であっても、平行しているかぎり。
どこまでも歩いていく。
神聖な誓いにも似た言葉だった。
「そうね。
一緒に生きましょう。
約束よ」
「約束です」
二度目の確認は、どちらも笑顔だった。
嬉しいだけの笑顔ではなかったけれども、それでも笑顔だった。
風が吹き始め、葉を揺する。
葉擦れの音を聞きながら、二人は他愛のない話を始めた。
最近、聞いた噂話の真相や、読んだ書物の話。
いつものように、自然に。
一緒に死のうという話をしていたとは他人が思えないほど、明るく。
日が暮れるまで二人は見えない壁を壊さないように、胸に想いを秘めたまま語り合った。
最も原初的な情動。それは愛する者を連れて不帰の道を歩もうとする、華麗な毒。
誰の胸のうちにも沈む倫理を超えた、恋ゆえに乞う心情。
死の欲動