継承

 祖龍城の南。
 その城壁の上、精霊師の少年は座っていた。
 周囲を見渡せば、そこかしこに人影はあった。
 もっとも、みな自分の世界で手一杯といった様子が見て取れる。
 空飛ぶ自由を知らぬものたちには辿りつけない高さの城壁の上は、いつもこんな感じだった。
 少年の膝の上には一振りの剣。
 人族の戦士が握るそれとは趣の異なる優美な姿。
 斬ることを目的としていない刀身は細く、独特な曲線を描いている。
 魔法を扱う者が持つ法剣・ライトグラム。
 量産されたものにはない力がほのかに宿っている。
 流星の痕跡ほどにわずかに。
 痕跡を確かめるように、統風は一撫でする。
 指先がふれ、そこで止まる。
 法剣に刻まれた銘。製作者の名前の部分で。
 少年はためいきをつき、目を閉じる。
「ありがとう」
 長い間、世話になった。
 祖龍の城を離れ、遠方に旅立ったときも。
 死の境地に至ったときも、この法剣と一緒だった。
「姉さん」
 いくつもの指令を受け、乗り越えてきた。
 仲間と一緒だったけれども。
 いや、仲間と一緒だったからこそ、自分が精霊師であることを強く実感した。
 闘うことが戦うことではなかった。
 助けることが、精霊師の戦いだと理解した。
 戦況に合わせ魔法で支援する。
 パーティメンバーに神の加護を与えるだけではなく、時に癒しを、時には……何もせず見守る。
 独りで闘うほうが、ずっと気が楽だと思うような場面もあった。
 傷つく人物を見つめ続け、それでいて癒しのための魔法を使えない。
 そんな場面もあった。
 ライトグラムは、どんなときでも統風と一緒にいてくれた。
 焦る心を、その冷たい金属の輝きで、流星の痕跡のようなかすかな輝きで、なだめてくれた。
 それも、今日でおしまいだった。
 統風は目を開け、傍らに……置き去りにしていた黒い法剣を見やる。
 両刃は波のような曲線を描いている。
 切っ先に行くほど黄金に染まっていく刀身が風変わり。
 昼の太陽光でもかすまない青白い発光は、武器として最高級品という証明。
 名は摩石の法剣という。
 少年の新しい武器だ。
 自分で探し、自分で選んだ……敵と対峙するための刃だ。
 統風は摩石の法剣の柄を握った。

「あ、あの!」

 城壁の下から声がかかる。
 妙齢の女性が立っていた。
 癖のある朱色の髪、対照的な真っ白な肌。
 豊満な体つきと相まって、美女の範疇に入るだろう。
 たとえ、頭部に大きな耳があっても。
「時間厳守だね」
 統風は微笑み、城壁が飛び降りた。
 ライトグラムを抱きしめて。
「もちろんです」
 ルビーいや、落日の高原で見る夕陽の色の髪の美女は、たどたどしい口調で言った。
 話すことを覚えた幼子のような。
 時を止めたばかりの統風よりも、一つ、二つ上に見える外見には、不釣合いだった。
 けれども、彼女が妖精であることを考えたら、当然なのだろう。
 見た目どおりの年齢ではない。
「お久しぶりです」
「元気そうだね、魁星」
 すっかり顔見知りになった妖精だ。
 一人でやるには骨が折れる指令を手伝ったのが、縁。
 あれを手伝ったというのなら……自分からやるといったわけではないのだから、やはり善意の手伝いとはいえないだろう。
 以来、気にかかっている相手だ。
 妖族なのに。
 ……似たところはない。
 背丈や体つきも違う、髪も瞳も帯びる色彩からして違う。
 声も……、話し方はすこし似て……いや、同じではない。
「はい、元気です」
 会話がする、ということが楽しくって仕方がない。
 そんな表情を浮かべて、魁星は言う。
「これをあげるよ」
 統風は、姉の名が刻まれたライトグラムを渡す。
「いいんですか!?」
 狸のような耳がぴょこんっと動く。
 欲しい。でも、受け取っていいのだろうか。
 顔以上に、獣の耳のほうが表情が豊かだった。
「大切に使ってくれるならね」
 統風はライトグラムを離す。
 ささやくような輝きを……そう痕跡のように統風の心に残して。
 法剣は新たな主の手に収まった。
「魁星が、もっと……強い武器を必要になるまで、役に立ってくれるよ。
 武器を変えるときが来たなら、このライトグラムを必要としているひとに譲って欲しい」
 お願いだよ。と統風は微笑んだ。
「はい!」
「用事はそれだけ。
 呼び出して悪かったね。
 送っていこうか?」
「走っていけば、すぐです。
 ありがとうございます」
 魁星はぺこりとお辞儀をすると、走り出した。
 地につく前にかき消える花びらを散らしながら、妖精らしく走っていった。
 それを見送りながら、統風は微苦笑を浮かべる。
 青白い光を放つ法剣よりも、今、手放した法剣のほうが貴重なもの……のように感じがした。
 そんなはずはないというのに。
 後悔にも似た思いが胸に去来する。
 姉の名が刻まれた、ただ一振りのライトグラム。
 これから先、人から人へと伝わっていくだろう。
 魔法を扱う者たちの支えになるだろう。
 それが一番、姉らしい。
 誰かのためになることを願って。今も、どこかで願い続けている女性の望みに添うような気がしたのだった。
「ありがとう」
 統風はもう一度、礼を言った。
 自分のものではなくなった法剣に。
 そして、遠い空にいる姉に。

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