穏やかな昼下がり。
長い冬の終わりに、ようやく来た春。
生きとし生けるものたちが喜びを胸に、空を見上げる季節。
待ち望んだ時の到来に佳人は院子に出る。
その優しい光を手のひらで受ける。
つかむことのできない陽光に、自然と笑みがこぼれる。
柔らかな黄金の中、空よりも美しい青を見つける。
それは夫となったばかりの青年の瞳の色。
静かに燃える青い焔。
「今、このときを永遠するとしよう」
無駄なことを口にしない夫が言った。
甄姫は驚いて、振り仰ぐ。
「幾度もこの季節は巡ってくるが、この春は一度きりだ」
曹丕は言った。
その声は、余分なものは一つもなかった。
どんな気持ちも、どんな想いも重ならない。
そこにある事実を語るだけだ。
甄姫は距離を感じて、もどかしくなった。
まるで、光のように。
ふれようと、手を伸ばしても届かない。
誰もがその光の恩恵を受けることができても、ふれられない。
光が光であるがゆえの孤高を埋めることなどできないのだ。
無力な自分には。
「春をあたたかいと感じたのは……、久しぶりだ。
ずっと忘れていたようだ」
曹丕はかすかに笑った。
甄姫はそっと、青年の腕に己のそれを絡める。
「ずっと戦場にいたのですもの、仕方がありませんわ」
そればかりが理由ではない。
共にいる時間は、まだ短い。
片手で数えられるほどの想い出しかない夫婦だ。
それでも、気がついた。
穢れなき無色の光であること望まれた青年は、期待に誠実であろうとしていた。
何の欲も持たず、何のこだわりも抱えずに。
誰にも頼らず、誰にも心を寄せずに。
これまで生きてきた。
人間らしい「情」に溺れないために、それから遠ざけられて。
「思い出せてよろしかったですわね」
甄姫は微笑む。
地上の王となるべき青年の肩に、頭を乗せる。
「一つお訊きしますわ。
どうやって『永遠』になさるおつもりですの?」
「願い続ければ、なるだろう。
人とは、そういう生き物だ」
曹丕は淡々と言う。
「我が君は意外に、夢想家ですのね」
表情と言葉のちぐはぐさに、甄姫は失笑する。
「今を惜しいと思わぬのか?」
「明日も、明後日も、その次も。
来年の春もこうしていますわ」
甄姫はにこやかに言った。
「それを永遠とは言わないのか?」
「そうですわね」
穏やかな昼下がり。
邪魔するものはおらず、若い夫婦は院子で春を楽しむ。
まるで一枚の絵のように。