白月

 夢を見る。
 毎日、現実の続きのような夢が迫ってくる。
 目を閉じるのが怖い。と譲は思った。
 現実にしては、知っている世界と、かけ離れた世界の中で、どれが『本当』のことかわからなくなる。
 この世界自体が夢のような気もする。

   ◇◆◇◆◇

 譲は足を止めた。
 肌を撫でていく風は、すでに夏の気配を宿している。
 葉ずれの音が、何かに似ていると思ったが、思考は砕け散る。
 霧のように、靄のように、消失する。
 少年は息を吐き出して、ゆっくりと頭を振る。
 足の裏が感じる木の感触は、リアルだ。
 お目にかかったようなことがなかった家の造り。
 想像したこともなかった絹の衣服。
 現実だ。ここが。
 けれども……。
 譲には夢の中を惑い歩いているような気がしたのだ。
 だから、足が止まった。

 夢なら良かったのか。
 夢だから良かったのか。

 それすら、夜半に目覚めたらわからなくなる。
 欠けた月が空をすべり行く。
 それを少年は、濡縁から見上げた。
 遠いのか、近いのか。
 距離感がわからなくなる月光を浴びる。
 淡い光が優しく、闇を払拭していた。
 譲の夢ごと、拭ってくれるような手つきで。
 光が降り降りる。
 眠りに落ちていこうとしている自分に恐怖しながら、それでも甘い誘惑に耐え切れない。
 どうしていいのか。
 どれが正しいのか。
 見失いそうになるその瞬間……。

「譲くん」

 名前を呼ばれた。
 現実か、どうかさえ定かではない世界の中。
 これが『現実』だと、譲が生きている世界なのだと。
 決めてくれる存在が廊下の向こう側から、やってきた。
 一つ歳上の幼なじみは、笑う。
 欠けた月と同じ優しさで。
 満ちた月と同じ強さで。

「先輩」

 譲も微笑んだ。
 安心できたからなのか。
 心配させたくなかったのか。
 どちらともつかない心情の中で、少年は笑えた。

「今日は綺麗な月だね」
 望美は軽い足取りで、譲の元までやってくる。
「綺麗だから寝るのが、ちょっともったいなくって。
 見に来ちゃった」
「寝ないと、明日も大変ですよ」
 少年は言った。
 多忙な幼なじみを気遣ったのか。
 ただの心配したかっただけなのか。
「譲くん。
 今日のお月さまは、今日だけしか見られないんだよ!」
 白龍の神子と崇められ、源氏の神子と奉られる幼なじみは、変わらない笑顔で言う。
 譲が学校に通っていたときと同じ笑顔だ。
「だから、明日には延ばせないでしょ」
 望美は楽しげに言った。
「先輩らしいですね」
 少年は同意した。
 明日のことなどわからない。
 未来のことなどわかれない。
 そんな世界の中で、どこまで一緒にいられるかわからない日々の中で。
 『今』が大事なものだと気づかされる。
 譲は空を見上げる。
 月は変わらずに、夜を飾っている。
「綺麗な月だね。譲くん」
 望美が言う。
 少年の目には、それよりも一等『綺麗』に映るものがあったけれど
「そうですね。先輩」
 と、うなずいた。


 今が夢じゃなければ良い。
 夢だというのなら、終わりが来なければ良い。
 自分が存在して。
 大切な人が、笑っている。
 それが『現実』で良い。
 それが『現実』が良い。


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