デートの最中、時たま幸鷹は遠い目をする時があった。
そんな時、花梨は風景の一部になった気分になった。
何を思っているのか。
なんとなく察しがついた。
それを訊くチャンスはいくらでもあった。
けれども、訊いてしまったら最後のような気がした。
白龍の神子でなくなった現代高校生の花梨は、あまりにも無力だった。
そして巡る季節に合わせて、心まで凍りそうな日。
幸鷹の誕生日がやってきた。
良い節目のような気がして、花梨は覚悟を決めた。
◇◆◇◆◇
幸鷹の家の客室に通され、紅茶がふるまわれた。
家族は外出中とのことで、広い家は二人きりだった。
「お誕生日おめでとうございます」
花梨はちょっと奮発した焼き菓子をテーブルの上に置いた。
「ちょうどいいですね。
美味しそうです」
幸鷹は目を細める。
「リラックスしてください」
誕生日を迎えた青年は、にこやかに言う。
「……一つだけ訊きたいことがあるんです」
花梨は切り出した。
「本当に一つだけですか?」
揶揄するように幸鷹は尋ねた。
「本当に一つだけです」
花梨は膝の上に乗せたこぶしをぎゅっと握る。
「後悔していませんか?」
花梨は全てを終わらせる覚悟で口を開いた。
「何に対してですか?
答えなくて結構です。
……この世界に戻ってきたことですよね」
幸鷹はティーカップをソーサーの上に戻した。
カチャン。
それ自体は小さな音だったが、沈黙が漂う室内では大きく聞こえた。
「自分で選んだ道です。
まったく後悔していないか、と問われれば嘘になるでしょう。
ただ、京であなたを見送って藤原家の繁栄のために力を尽くしても、後悔していたと思います。
……ずっと気にかけてくださっていてくれたのですね。
ありがとうございます」
穏やかに幸鷹は言った。
「私のわがままに付き合わせてしまったようで、礼を言われるようなことじゃないです」
花梨は顔を上げられなかった。
幸鷹が断腸の思いで現代に帰ってきたのが、わかってしまうからだ。
「時は戻せません。
ちょうどこの砂時計のように。
後悔ごと私は選んだのです。
あなたの手を離せなくなってしまったようです。
こうしてふれあうことができるのが、どれだけ嬉しいか。
きっと、あなたには想像できないのでしょうね」
落ち着いた声が想いを綴る。
花梨は恐る恐る顔を上げた。
幸鷹は困ったような微笑みを浮かべていた。
「ふれてもいいですか?」
幸鷹が問いかけた。
花梨は無言でうなずいた。
大きな手のひらが、花梨の手を包む。
「ずっと、あなたにふれたかったのです。
こちらの世界に戻ってきても、あなたは時おり不安そうな顔をしていました。
それが私のためだ、とわかっていました。
まるで禁断の果実をもぎとるように、誘惑されていたのです」
幸鷹の言葉に、花梨は目をしばたかせる。
「誘惑、ですか?」
「それはもう甘い誘惑です。
あなたのすべてを知りたい。
あなたのすべてにふれたい。
心が言うのです」
幸鷹は表情を変えずに言う。
「そうは、見えませんが?」
「あなたよりも、ほんの少し大人ですからね。
隠すのは得意なのです」
内緒話をするように、幸鷹は声をひそめる。
「……後悔は、していないのですか?」
「あなたが私の傍にいてくれる限り、後悔はしないでしょう」
その言葉に嘘はないだろう。
花梨はやっと安堵した。
泣き出しそうな気持ちになった。
二人で今の世界に帰ってきた意味をかみしめる。
「ずっと一緒にいましょうね」
花梨はようやく笑えた。
「プロポーズですか?」
幸鷹に言われて、花梨は赤面した。
「……そうかもしれません」
花梨はうつむきながら言った。
たった一人の運命の人なのだから。
「答えはイエスです。
今度の休日に指輪を買いに行きましょう。
籍を入れるのは、高校卒業後で。
私のお嫁さんになっていただけますか?」
幸せそうに幸鷹は言った。
「もちろんです」
花梨はしっかりと返事をした。