六月の雨は――

 灰色の空から地を潤す水音。
 ささやき交わす声も隠してしまう。
 秘かに、密やかに。
 朝に夕に降る雨が紡ぐ音が、隠してしまう。
 背の高い公達が御簾の中にいることすら。

「六月の雨は――の涙に似ている」
 公達が呟いた。
 それが、折から降る雨に似つかわしかった。
 絵巻物から抜け出してきたように、たいそう優雅で、申し分がなかった。
 憧れ、というものに形があるならこのような形をしているのだろうか。
「どなたの、涙に似ていますの?」
 藤姫は尋ねながら、友雅の手の中の扇に目をやった。
 薄闇の中にあっても、くすまない華やかな色にあふれている紙の扇。
 パタパタと順を追うように広がっていく。
 まるで、夏の花が咲くように鮮やか。
 少女はホッと息をついた。
 庭を眺めていた双眸が、ゆるりと藤姫を見た。
「あなたの涙に似ている」
 友雅は大切なことを告げるように、言った。
 重々しく、それでいて優しい声だった。
 同時に、チリンっと金属の打ち合う音が耳の近くでした。
 視界の端で、金属の小片が揺れた。
 それは冠の飾り。
 頷くこともできず、首を振ることもできずに。
 あいまいに小首をかしげるしかなかった、自分に気がつく。
「そうでしょうか?」
 藤姫は言った。
 似ている、と言われて嬉しかったのでもなく。
 似ている、と言われて腹立たしかったのでもなく。
 ただただ感じ入った。
 世界を薄闇に閉ざす雨に似ている。
 それはそのままの意味として、少女の奥深い場所まで滑り落ちる。
 己はこの雨のようなものだ、と反芻する。
「友雅殿は六月の雨がお嫌いですか?」
「わずらわしい。面倒だ。という人もいるだろうけれども、雨のない世界というのも趣に欠けたものだろう」
「……そうですわね。
 雨がなければ、晴れのありがたみもわかりませんもの」
 藤姫は微笑んだ。
 チリンと冠の飾りが鳴る。
「そんなところが、六月の雨のようだよ。
 そ知らぬ顔をして泣いている」
 しゅるりと絹が鳴り、秋風の香りに染まった指先が藤姫の頬を撫でた。
「泣いていますか?」
 声が震えた。
 抱きしめられているわけでもないのに、香りが近い。
 涙はこぼれない。悲しいことなど一つもないのだから。
 けれども、喉が絞められたように息が苦しくなり、鼓動が早くなる。
 ふれられた場所が、自分のものなのに、他人のもののような。
「音もなく降る雨のように。
 微笑んだまま泣いているよ」
 友雅は言った。
「申し訳ございません」
 考えれば考えるほど遠くなっていく。
 自分は泣いてはいない。
 それなのに、さめざめと泣いているような……そんな気がした。
「いや、そんなところが魅力的だと褒めているんだよ」
「情が強い、と言いませんの?
 殿方は、なよなよとした女人が良いと聞きますが」
「星の姫君も、宮中で流行っている読み物に夢中のようだね」
 友雅はくすくすと笑う。
 長い指先が頬の輪郭をなぞり、離れていく。
 名残惜しそうに見えたのは、自分の心に重ねて見ていたせいだろうか。
「私は六月の雨になれても、若紫のようにはなれません」
「面白いことを言うね。
 今日の雨のように、あなたの泣き方は趣があると褒めたつもりだったんだけど、通じなかったようだ」
 友雅は言った。
 稚い少女は言葉をつまらせて、ためいきを答えとした。
 何を言っても、伝わらない。
 言葉を尽くせば尽くすほど、溝が深くなるような気がした。
 越えることのできない深い溝。
 大人だから、子どもだから。
 橘だから、藤原だから。
 それだけではない、雨の闇よりも深い溝。
 崖の縁で立ち尽くしているような、つかみどころのない焦燥感と不安に心が揺れる。
「あなたは六月の雨はお嫌いかな?」
 友雅は紙扇をパタパタと畳む。
 それは雨音に似ていた。
 あるいは――、藤姫は胸の奥に過ぎったもののを飾り立てずに口にした。

「六月の雨は、友雅殿のためいきに似ています」

 背の高い公達は目を丸くした後、大きく笑んだ。
「私たちは似た者同士ということだね」
 機嫌良く、と言えるような笑顔で、友雅は言った。


 雨音にも似たささやきは、六月模様。
 灰色の空。
 朝も夕も変わらない。
 曖昧さの中で揺れている。
 御簾の中のささやきは、雨模様。
 隠された世界で蜂蜜よりも密やかに。
 どこか寂しく、どこか楽しく、降りしきる。


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