「トリック・オア・トリート!」
つむじ風のような風変わりな少女が部屋に乱入してきた。
部屋の主は半年間という慣れでもって、それを無視をした。
読んでいた本から視線を上げることなく、ページをめくり続けていく。
傍から見たら『それって読めているの?』という速度だ。
そんなことを尋ねるような命知らずは魔法研究院の中にはいなかった。
最年少で最高位の緋色の肩掛けを許された魔導士。
キール=セリアン。
その記録はまだ破られていない。
そんな彼に苛立ったように少女は本が大量に乗っている大きな机を勢いよく叩いた。
「無視しないでよ、キール!」
栗色の髪を肩にも届かない長さで切りそろえている少女の声は明らかに怒っていた。
「何だ? 狸?
魔法の詠唱に近い言葉のようだが、元の世界の言葉か?」
ためいき混じりにキールは言った。
眼鏡の奥のホーリーグリーンの瞳は少女のことを見ることはなかった。
「狸じゃない!
アタシには藤原芽衣って名前がきちんとあるんだから!」
風変わりな格好をし続ける異世界からの来訪者は言った。
それがキールの心を揺らす。
藤原がフジワラという姓であり、芽衣がメイという名だということは知っている。
クライン王国風に名乗るならメイ=フジワラになるはずだ。
それでも少女は藤原芽衣と名乗り続ける。
「それで芽衣。何の用だ?」
だから記号にしか過ぎないが、キールもまたメイという音ではなく、芽衣と呼ぶのだ。
あと何回、呼ぶことができるのだろうか。
そう思いながらも保護者の顔をして呼ぶ。
本来の世界にいる『家族』の代わりに。
「今日は10月31日。
ハロウィン。
もう一つの世界とつながる日なんだから」
芽衣は言った。
少女を不用意に召喚してしまったキールにとっては聞き逃せない言葉が混ざっていた。
ホーリーグリーンの瞳は被保護者を見つめる。
「悪いものに連れていかれないように子どもたちは仮装をするの。
それでカボチャの飾られた家に、さっきの言葉を言うの。
悪戯か、お菓子かって。
というわけで、お菓子をくれないなら悪戯をするんだけど?
どっちがいい?」
芽衣は無邪気に尋ねる。
キールはためいきをついた。
「俺の記憶間違いでなければ9月21日に誕生日が来たはずだよな」
「そうだね。キールから誕生日プレゼントをもらった」
「この国の成人年齢は16歳だ。
つまり、お前はもう子どもではない」
キールは断言した。
一人前の女性なはずだが、幼い行動のせいか、それとも姿かたちのせいか。
匂い立つような色香というものが欠如していたし、危機感もなかった。
「じゃあ、キールからはもらえないのか。
残念~」
芽衣はがっかりしたように言った。
「来年はディアーナとかシルフィスも巻き込もうかな?
きっと楽しんでくれそうだし」
「ありえない未来だな」
キールは読み終わった本を閉じる。
それほど広くない部屋にためいきのように、パタンと音がした。
この本もハズレだった。
正解は、どこにもないのかもしれない。
焦燥感に駆られるが、目の前の少女には見せてはいけない。
悟られるわけにはいかなかった。
「えー、どうして!!」
芽衣は真剣に言った。
「二人とも成人しているんだ。
ディアーナ王女は春にはふさわしい男性と結婚している可能性が高い」
妹想いの皇太子だ。
家柄が良く王女を大切にしてくれる相手をすでに目星をつけているだろう。
「そっか。お姫さまだもんね。
ディアーナは」
「相手は国内の貴族だとは限らない。
国内の貴族だとしても、結婚したら、そうそう気軽に遊ぶわけにはいかないだろう。
シルフィスは騎士見習いとして優秀だという話を聞いた。
叙勲を受け、正式に騎士になれば、暇は存在しなくなる」
キールはすぐ傍に迫っている未来を指摘をする。
「そっかー。二人とも頑張っているもんね。
アタシとはいつまでも一緒にいてくれるわけじゃないか。
友だちって思っているのはこっちだけかもしれないし。
じゃあ、来年はアタシは……」
そこで芽衣は言葉を詰まらせた。
独りぼっちになる、と言いたかったのかもしれない。
室内に居心地が良いとは言えない、微妙な沈黙が落ちた。
「キールがいるから、保護者に甘えておかなきゃ。
いつまでも一緒にいてね」
芽衣はどこまでも明るく言う。
けれどもその表情が裏切っていた。
弱々しい笑みは、今にも泣きそうで、崩壊寸前に映った。
「俺もそこまで暇じゃない。
来年、一緒にいる保証はどこにもない」
キールは指の震えを気取られないように言った。
空前絶後。
異世界からの訪問者は魔法研究院の歴史をもうすぐ塗り替えるだろう。
最年少で最高位の緋色の肩掛けを許された魔導士。
その名は歴史に刻まれる。
きっと芽衣は自力で、エーベの神の祝福を受けて、元の世界へ戻っていくだろう。
それだけの力と知識を手に入れた。
キールにできることは、残り少ない。
一緒にいる来年なんて永劫にやってこないのだ。
「キールが嫌だって言っても、離れる気はないから。
保護者なんでしょ?
一生、責任を取ってもらうつもりだよ!」
芽衣は朗らかに言った。
成人した女性が、一生責任を取ってもらう、という意味が分かっているのか。
おそらく、まったく意識をしていないのだろう。
だからこそキールの心にほろ苦い感情が渦巻く。
「そうだったな。
お前は俺の被保護者だ。
この世界にいる限り、責任は取る」
キールは微苦笑した。
「だよね!
ちゃーんとキールに責任、取ってもらいます」
芽衣は朗らかに笑った。
キールには重々しいほどの信頼感だった。
だから次の本を読む振りをして、積み上げていた本を一冊、手に取った。