マリアージュ

 常春の楽園。
 永遠を約束された時間。
 その中に青年と少女はいた。
 黄金のような尊き空間だというのに、少女の表情は曇り空だった。
 翡翠だと思った瞳はティーカップを覗き込んでいるばかり。
 時折、黄金色の繊細な睫毛がわななく。
 今にもティーカップの中に雨のような雫が落ちるかもしれない。
 前代未聞の型破りの女王陛下は、今日も誰かしらに怒られたようだ。
 候補生時代のように、項垂れたままルヴァの執務室の扉をノックしたのだった。
 それをルヴァは飛空都市でしたように、笑顔で迎え入れて、窓際の席を勧めた。
 アンジェリークは無言のまま、座った。
 元気が取り柄の少女だったから、その笑顔が曇っているのは残念だった。
 向かい側の席でルヴァは窓の外をそっと見やる。
 聖地の天気は見事な晴れ。
 セレスティアル・ブルーの空が広がっていた。
 それに安堵しながら、頭の中で少女のための言葉を用意する。
 言葉は諸刃だから、じっくりと考えなければならない。
「どんなものにもルールがあります。
 最上のものにするために」
 ルヴァの言葉に、アンジェリークは視線を上げた。
 ようやく翡翠の瞳に自分が映った。
 青年は穏やかに微笑む。
「例えば紅茶のゴールデンルールのように」
 ルヴァはティーカップに入った紅茶を一口、飲む。
 この時期だけの水色の鮮やかな紅茶は、軽やかな味わいがした。
 ゴールデンルールと言われながらも、土地によって微妙に違う。
 決まっているのは、それが最上のものにするための『基本』ということだった。
 汲みたての水であること。
 それを沸騰させること。
 使うポットは陶磁器製であり、丸みがあり、茶葉が良くポットの中で広がること。
 茶葉はポットに入る量に合わせて。
 魔法の言葉のように、『私のため、貴方のため、ポットのため』と茶匙を使って。
 ティーカップの内側は白く、香りが広がりやすいものであること。
「緑茶にお砂糖を入れるのは邪道ってことでしょ?」
 アンジェリークは心細そうに質問した。
 常に飲むために淹れるような温かい煎茶に砂糖を入れるのは珍しいだろう。
 でも緑茶に砂糖を入れるのは間違ったことではない。
 紅茶に砂糖を入れるのに慣れた人にとっては、ストレートの緑茶は苦みや渋みを感じて、薬を飲んでいるようなものだろう。
「いいえ。
 そういうのをmariageと呼んでいいと思いますよ」
 ルヴァは言った。
 主星で使われる言葉では少々意味深な言葉だった。
 きっと自分には縁がない意味だろう。
「マリアージュ?」
 呟くようにアンジェリークが確認する。
「緑茶のラテにはたっぷりのミルクと砂糖が入っています」
 ルヴァは言った。
 ラテとして楽しむのは、コーヒーに限ったことではない。
 ほうじ茶ラテまであるのだから、珍しい飲みものでもない。
 冷たい氷の浮かんだ二層式のラテは芸術品だ。
 白いミルクに深い色の緑。
 mariageとはこのことだろう。
「そして誤解を解くなら一つ。
 緑茶も紅茶も、元は同じ植物です。
 取れる土地や茶葉になるまでの工程で、ここまで差が出るのですよ」
 ルヴァは穏やかに告げる。
 緑茶を育てるような土地であえて茶葉をわざわざ発酵させて紅茶を作る場合もある。
「……多様性ということ?」
 アンジェリークは訊く。
「緑茶の中で最上級とされる玉露があります。
 この茶葉は沸騰させたお湯を使いますが、すぐに茶器には注ぎません。
 おおよそ50度になるまで『湯冷まし』と呼ぶような器に入れて待ちます。
 お湯の温度を下げることによって、渋みを抑えて、甘みを引き出すのです」
 手間のかかる製法で作られる茶葉は、もっとも手間のかかる淹れ方で最上級の味わいになる。
「私が焦りすぎってことなのね」
 即位したばかりの女王陛下はためいきをついた。
「女王らしくある、というのは凝り固まった考えだと思いますよ。
 あなたはあなたらしい女王であれば良いのです」
 ルヴァは至高の存在を見つめる。
 守らなければならないと思うその背には黄金の翼が見える。
 女王と守護聖の関係はmariageだと良い。
 離れ難く、常春の楽園で、永久に続いて欲しい。
 死が分かつように、己のサクリアが尽きるまで。
「ありがとう、ルヴァ」
 守護聖として支えると決めた天使は微かに笑った。
 そして紅茶に手を伸ばした。
「私はたいしたことはしていませんよ。
 アンジェリーク」
 ルヴァは天使の名前を大切に呼んだ。
 謁見の間では許されない。
 玉座から一番遠い場所から、眺めるだけの相手の名前を二人きりという空間で呼べるのは贅沢以外の何物でもないだろう。
 最上級の幸福だった。


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