天使のいる天国で

 常春の楽園。
 宇宙で最も素晴らしい場所。
 神さまたちが集う場所であり、それらが冠たる女王陛下のいます場所。
 主星の地上にありながら、天国と呼ばれる。
 その聖地の神さまに与えられた一室。
 特徴的な服をまとった青年が執務室の続きの間に座っていた。
 圧倒されるまでの本棚たち。
 厚みのある本たちが整然と並んでいた。
 人によっては長居をしたくないような場所であろう。
 青年は気にせずに通販雑誌をめくっていた。
 それもそうであろう。
 ブルーグリーンの髪の青年は、神さまの一柱。
 知識と知恵の番人。
 地の守護聖・ルヴァ。
 神鳥の宇宙では最年長の守護聖で、その在位は十年以上を超す。
 26歳で時を止めてしまった青年はのんびりと通販雑誌を眺めていた。
 安定している神鳥の宇宙だったから、さっと私服に着替えて、クイーンズゲートを出て、聖地の外に出ても大丈夫だった。
 守護聖の中でも、さほど目立つような外見をしているわけでもない。
 けれどもこの時期に、お目当ての物を手に入れるために出かけたら、悪目立ちをするであろう。
 そう思い青年は通販雑誌をめくっていたのだ。
 その表情はいつものように穏やかであり、ブルーグレーの瞳は知的好奇心に輝いていた。
 きっかけは飲んでいた茶葉を切らしたことにあった。
 玉露と呼ばれるお茶の一つだった。
 特殊な製法で作られる特別なお茶の一つだから、同じものを入手するのは不可能だろうと思いながら、それでも入手手段を探していた。
 それを見かねたのか、気配り上手な夢の守護聖のオリヴィエから最新の通販雑誌を手渡されたのだ。
 時期的なものだったのだろう。
 緑茶を使ったチョコレートが並んでいたのだ。
 その隣にはストロベリー味のチョコレート。
 まるで並んでいるように置かれているのがくすぐったかった。
 即位する前の少年に戻ったような気分でドキドキしていしまった。
 ルヴァが至高の存在と仰ぐ女王陛下は、候補生時代からストロベリーを好んでいた。
 世の女性たちはこんな気分で毎年、チョコレートを選んでいたのだろうか。
 気に入ってくれるかどうか、不安な気持ちを持ちながら、ラッピングを開けた時の笑顔と感謝の言葉。
 きっと格別なものだろうと思うと、心が躍る日々だった。
 安定して穏やかな聖地の暮らしに不満があるわけではない。
 それでも変化を望むのも悪くない。
 まるで聖獣の宇宙の風の守護聖のサクリアのように。
 色々な気持ちを抱えたまま迎えた2月14日。
 年月を数えるのは無駄に近いと思っていた。
 即位してしまえば一年は365日ではなくなってしまう。
 誕生日すら無意味になってしまう。
 時間という概念は聖地において曖昧なものだった。
 できるだけ長く守護聖を守護聖としておくために外界から隔離されているのだ。
 宇宙が繁栄していくために。
 あるいはその終焉を引き延ばすために。
 そんな考えを打ち破ったのは、金の髪の女王候補だった。
 型破りな少女は前人未到のことをやってのけた。
 何度も危機にさらされた神鳥の宇宙を見事に救ってのけたのだ。
 本当に女王にふさわしい女王だった。
 そんな女王陛下のご機嫌も麗しく。
 今年も金の巻き毛を揺らしてやってくる。
 きっと後ろ手にラッピングされたチョコレートを手にしながら。
 平等に配られるものであっても嬉しいものだった。
 慈愛と慈悲でもってもたらされるものであっても。
 手慣れた調子でルヴァはお茶を用意する。
 どんなチョコレートを持ってきてくれるのだろうか。
 毎年、異なるから、ルヴァは癖の少ないセイロンティーを用意した。
 銘柄はディンブラ。
 ダージリンのように華やかな香りはない。
 柔らかな水色の紅茶だった。
 特筆するようなお茶ではなかった。
 至高たる女王陛下をもてなすには、物足りないお茶であろう。
 素直な味がする紅茶だった。
 ルヴァが窓際のテーブルにカップ&ソーサーを置くのと同じタイミングで、ノックの音がした。
「どうぞー。開いていますよ」
 ルヴァはいつもの調子で答える。
 可愛らしいイメージのある執務服をまとった女王陛下は、まるで翡翠のような瞳を輝かせて
「ハッピー、ヴァレンタイン!
 ルヴァ」
 嬉しそうに告げる。
「お待ちしてしていました。
 どうぞ、おかけください」
 ルヴァは椅子を勧める。
 金色の巻き毛を揺らしながら女王陛下は座る。
「はい、チョコレート」
 候補生時代よりも綺羅らかな笑顔で常盤色のリボンでラッピングされた小箱を差し出す。
「あー、今年は私からもあるんですよー」
 女王の向かい側にルヴァも座る。
 テーブルに置いてあった小箱を女王に見せる。
「いくつかの文献を当たったら、チョコレートは男性から贈っても良いと知ったもので、遅まきながら用意してみました。
 もっとも恋人同士がするようですが。
 敬愛と親愛を込めたので、受け取っていただけると大変、嬉しく思うのですが……。
 どうでしょうかー?」
 青年は緊張しながら言った。
 金色の繊細な睫毛が瞬く。
「もちろん、受け取るわ。ルヴァ。
 だって、あなたが用意してくれたものだもの。
 ……でも、条件がひとつあるの」
 悪戯を思いついたように女王は言う。
「条件ですかー?」
「ええ。今日は平日とはいえ、もう執務の時間は終わったわよね」
「そうですねー」
 ルヴァはうなずく。
「じゃあ、女王と守護聖じゃないわよね」
 確認するように言う。
「……そういうことになりますね」
「ここは二人きり」
 楽し気に言う。
 鈍いルヴァでも気がつく展開だった。
「そうですね。アンジェリーク」
 候補生時代のように至高の女王の名前を呼ぶ。
 『天使』を意味する名前だから、主星では人気のある名前であった。
 ルヴァ自身も在位が長いものだから、アンジェリークの名を持つ女王を戴いたことがなかったわけではない。
 それでも『天使』だと思ったのは、目の前の少女だけだった。
 『天使』は飛び切りの笑顔を見せた。
 それは砂漠の中から砂金を探すようなもの。
 限りなく不可能。
 そして、ゼロではない可能性だった。
 断定はできないのだ。
「まだ条件を言ってないのにすごいわね、ルヴァ」
 アンジェリークは言った。
「あなたのことを考えているからでしょうか」
 ルヴァは白状をした。
 たとえ尊き女王陛下でなくても、ずっと少女自身のことを考えている。
「嬉しいことを言ってくれるわね。
 昔は悩んでいたのよ。
 女王に即位したら、何もかも変わるんじゃないかって。
 もう二度と名前を呼んでもらえない、と思っていたの」
「玉座にいない時は、いくらでもお呼びいたしますよー。
 私にできることはそれぐらいですから」
 ルヴァはブルーグレーの瞳を細める。
 残酷なことを言ってしまえば、宇宙は女王さえいれば安定するのだ。
 守護聖がいなくても、発展していく。
 広く見渡せば、女王が存在しない宇宙もある。
「助けられたばかりいるような気がするけれども?
 ルヴァがいなかったら、私は女王になれなかったと思うもの。
 ……ロザリアが即位しても、きっと素敵な宇宙になっていたと思うわ」
 アンジェリークはためいきをついた。
 かつてのライバルであり、親友でもある女王補佐官の名前を挙げた。
「誰かに怒られましたか?」
 ルヴァは穏やかに尋ねた。
「まあ、近いわね。
 最近は諦めてきたみたいだけど」
 アンジェリークは苦笑いをした。
 元気が取り柄の女王は、あまりにも形やぶりだった。
 伝統と格式に縛られた神鳥の宇宙で在位が長い守護聖たちには違和感のあることだろう。
「色々な女王がいてもいいと、私は思いますよ。
 宇宙の形は様々です」
「どうしてルヴァは私を女王に推薦してくれたの?
 大陸の育成がちっとも上手くいかなかった頃から、ずっと推薦してくれたわよね」
 アンジェリークは不安げに質問をする。
 まるで砂時計を引っくり返したような雰囲気だった。
 時間がさかのぼる。
 女王試験が始まったばかりの頃のように。
「ふさわしい、と思ったからですよー。
 それだけです」
 ルヴァは微笑んだ。
 宇宙の危機が迫っている中、行われた女王試験だった。
 崩壊寸前の宇宙だった。
 このまま宇宙は終焉を迎えてもおかしくない。
 それを知っている者はごく一部だった。
 ルヴァは知っている側の立場だった。
 だからこそ、何も知らずに、前向きに頑張っていく少女自身が好ましく思えた。
 時間が足りない中、知識を持たない少女が乾いた砂が水を吸うように女王らしく知識と知恵を吸収していった。
 そして、誰もができなかったことを軽々とやってのけたのだ。
「あなたは女王らしい女王だと思いますよー」
 きっと少女にしかできなかったことであろう。
 どれほど青い瞳の女王補佐官が優秀であっても。
 けれどもアンジェリークは結果に納得がいかないようだった。
 その背中には女王にしかない黄金の翼があるというのに。
「そんなことを言ってくれるのはルヴァだけだわ。
 そうね。湿っぽい話はおしまいにしましょう。
 今日はヴァレンタインデーなのだから。
 乙女の祭典よ」
 楽し気にアンジェリークは言った。
「毎年、楽しみにしているんですよ」
 ルヴァは言った。
 一年が365日ではなくなってしまった身ではあったが、『毎年』が楽しみになった。
「私も楽しみにしているの。
 こうしてルヴァの執務室にきてチョコレートを渡して、お茶を勧めてもらうのを。
 特別な一日だわ」
 アンジェリークはティーカップに手を伸ばす。
「気持ちがお揃いですねー」
 ルヴァもまたティーカップに手に取る。
 こんな時間が永遠に続けばいいと願う。
 守護聖に即位したのだから祈る対象は自分になってしまったけれども、誰かに祈りたくなるような気分だった。
 来年も、自分が選んだ『天使』がチョコレートを持ってきてくれることを。
 天国の中で過ごすことを。


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