降り始めた雨

 ぽつりぽつり、と雨が降ってきた。
 窓のガラスを叩き、流れていく。
 それを見た地の守護聖は、読みかけの本を閉じた。
 パタンと響いたのは、執務室が静かだったからだろう。
「雨はお嫌いですか?」
 ルヴァはアンジェリークに尋ねた。
 質問された少女は翡翠色の瞳を丸くした。
 それもそうだろう。
 少女にとって天気が移ろうのは自然なことだった。
「失言しました。
 私はあまり雨が得意ではないんですよ。
 この飛空都市は雲よりも上空にありますから」
「本来、雨が降らないってことですか?」
 アンジェリークは長い睫毛を瞬かせる。
 教え子の頭の回転は悪くない。
 比べられる対象が優秀すぎるだけだ。
 期待されすぎているきらいがある。
「そうなりますね」
 ルヴァは窓の先を見つめる。
 異例な女王試験。
 異様な天気。
 女王の力だけでは支えられない宇宙。
 終焉が迫っているようだった。
 このまま宇宙は崩壊するかもしれない。
 そう思うと、やるせない気分になる。
 知恵と知識の番人と呼ばれる地の守護聖であっても、未来は見えない。
 雨粒は女王の涙のようで、悲痛だった。
「だから、雨を見たことがなかったんですね」
 無邪気な少女の声。
 その肩には無数の生命が乗っていることに気がつかない。
 小さな背には白い翼がある。
 やがては黄金の翼になるのだろうか。
 少女の髪のように。
「聖地でも雨が降らないのですか?」
 アンジェリークが問う。
 青年は穏やかな表情を浮かべて、振り返る。
 翡翠色の瞳はキラキラと向学心で輝いていた。
「決まった時間に降りますよ」
 ルヴァは言った。
「天気が決定されているんですか?」
 アンジェリークは小首を傾げた。
 太陽のような色の髪が肩を滑っていく。
 不思議そうにルヴァを見つめる。
「だいたい夜に降りますよー。
 王立研究院が定めた日時に降るのです」
 それも、崩れ始めていた。
 少女にはわからないように微笑む。
「便利ですね。
 いつ雨が降るかわかっていれば、傘を用意できます」
 アンジェリークは言った。
「特別寮まで馬車を出しますよ。
 傘がなくても大丈夫です」
 ルヴァの言葉にアンジェリークは失敗したという顔をする。
「聖殿に来る前は晴れていたので、うっかりしていました。
 次からは気をつけますね」
 少女は赤面した。
「今日はこのぐらいにしましょうか」
 女王を輩出するスモルニィ女学院に通っていたとはいえ、少女は一般生徒だ。
 ロザリアのように特別な教育を受けたわけではない。
 何もかも足りていなかった。
 その中で大陸を育成するというのは、難しいものだろう。
 時折、ルヴァの執務室に来て、勉強をしてもまだ足りないだろう。
「雨が強くなってしまったら、濡れますからね」
 ルヴァは言った。
「そうですね」
 アンジェリークは窓を見やる。
 降り始めた雨が強くなっていくのがわかったのだろう。
 不精不精といった様子で筆記用具を片付けていく。
「もう少し勉強したかったです」
 少女はためいきを零す。
 向学心のある態度にルヴァはブルーグレーの目を細めた。
「まだ時間はあります。
 焦らず取り組んでいきましょう」
 本当に時間はあるのだろうか。
 心を隠して、穏やかに青年は言った。
「はい!」
 女王候補は飛び切りの笑顔を見せた。
 輝かしい将来が待っているようだった。
 雨の後にかかる虹の橋のような。
 希望がそこにはあった。
 それに、ルヴァは勇気づけられる。
 まだ未来は決まっていない。
 先達の言葉もある。
 ――止まない雨はない、のだ。


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