看花


 たとえば……。

「あの枝が良いわ」
 少女の細い指が真っ白な花を指す。
 小さな花が枝いっぱいについていて綺麗だったが、少女の背では届かない位置にあった。
 木に登れば別だが、枝が細くて難しい。
「へいへい」
 背の高い青年がやる気なく返事をする。
「何よ。ずいぶん、不満そうじゃない」
「まさか。
 ご婦人のお役に立てて、光栄ですよ」
「本当にそう思っているの?」
「思ってますって。
 よっと」
 青年は手を伸ばし、軽々と枝を手折る。
「どうぞ」
「ありがとう。
 凌統は背が高くて、助かるわ」
 尚香は、笑顔で枝を受け取る。
「姫さんには、敵わないってね」
 凌統は肩をすくめてみせる。


 あるいは……。

「なあに、落ち込んでんだか。
 そんな顔、似合わないぜ」
「……何の用?」
「綺麗な顔してるんだ。
 笑っときな」
「残念ね。
 私は、今とっても不機嫌なの」
「男ってのは身勝手なもんだ。
 戦場へ行く前に、笑顔が見たいって思う」
「その戦場へ行けないから、機嫌が悪いって知ってるわよね」
 尚香は言う。
「そうかい?
 俺の目の前にいるのは、怒り狂う弓腰姫じゃなくて、仲間外れにされて落ち込んでる小さな女の子だ」
 凌統は言った。
「……違うわよ」
 尚香の肩が少しばかり落ちる。

「泣き言は帰ってきたら、聴いて差し上げますよ」
「勝手ね」
「最初に言ったでしょう。
 身勝手だって。
 交換条件だ。
 笑ってくださいよ、姫。
 お守りにするんで」
「無事に帰ってきなさいよ。
 そしたら、ちゃんと笑ってあげるわよ」
「約束ですよ」
 凌統は笑った。
 尚香はうなずいた。


 チラチラと目の前にちらつく。
 凌公績という男が、視界に入ってくるのだ。
 その事実に陸遜はいらだっていた。
 少年の耳は優秀で、どんな小さい声であっても少女の声を聞き分ける。
 少年の目は優秀で、どんな遠くであっても少女の姿を見分ける。
 だから、少女の隣にいる人間まで知ることになる。
 気さくな少女は、誰とでも仲が良い。
 太陽のように明るく、惜しみなく笑顔を振りまくのだ。
 そんな少女に、人が寄ってくるのは当然のこと。
 好意を抱く人間が増えるのも、もっともなことだった。

 どうにか、排除できないものだろうか。

 と、少年は思った。


 表面上は穏やかな日々が続いたある日。
 陸遜と凌統は回廊ですれ違った。
 軽く挨拶をして、それで終わるはずだった。
 仲良く話し込むほどの仲ではない。
「ちょっと話があるんだけど」
 凌統が言った。
「私にはありません」
 陸遜はにこりと笑った。
 不愉快になる相手と語らうような世間話のネタはない。
「そう言わずに」
 青年は少年の腕をつかんだ。
 陸遜はためいきをついた。
 振り払うこともできるが、それでは話が大きくなる。
 城には、話に面白おかしく尾ひれをつける人間がいるのだ。
「こう見えても、私は忙しい身ですので、お話は手短にお願いできますか?」
「もちろん」
 と言って凌統は手を離した。

「それで何でしょうか?」
「いや、用があるのは軍師さんのほうかなと思ったわけだ。
 もの言いたげな目でこっちを見てる」
「あなたに用はありません」
 陸遜はきっぱりと言った。
「用があるのは、姫さんのほうだって?」
 凌統は苦笑した。
「話はそれだけですか?」
「答えないってことは、認めるんだな」
「ええ、認めます。
 だから、何だと言うんですか?」
 陸遜は凌統をにらむ。

 青年は背が高いから、いちいち頭を上げなければ、にらむこともできない。
 その事実にいらだつ。
 いつだってそうだ。
 変えられない事実が陸遜をイライラさせるのだ。
 少女よりも背が低いこと。
 少女よりも歳が幼いこと。
 だから、頼ってもらえないこと。
 自分の持たないものを持っている青年が羨ましくて仕方がないのだ。

「そこまで開き直られたら、降参だ。
 言っとくけど、俺と姫さんはそんな関係じゃな……」
「知っています。
 ただの友だちだってことぐらい、見ていればわかります。
 私も、……あの人にとって、ただの友だちなんです」
 陸遜は言った。
「友だちつながりで、仲良くは……できないみたいだな」
「その論理で行くと、凌統殿は甘寧殿と友だちになってしまいますが、それでもよろしいんですか?」
「よろしくはないな」
 凌統は渋い顔をした。
「そういうことです。
 では、失礼します」
 陸遜は吐き捨てるように言うと、その場から立ち去った。


 院子の途中
「陸遜」
 声が振ってきた。
 驚いて、少年は顔を上げる。
 涼しげな木陰を提供する樹の枝に、尚香は腰をかけていた。
「姫、危ないですよ」
「すぐ降りるわよ。
 これが欲しかったの」
 尚香は薄紅の花のついた枝を見せる。
「何も樹に登らなくても」
「手を伸ばしても届きそうになかったから、登ったほうが確実でしょ」
「頼んでくだされば、お取りしました」
 陸遜は言っても意味のないことを口にした。
 少女が陸遜に頼みごとをするのは、本当に困ったときだけだ。

「それじゃあ、意味ないわよ。
 はい」
 少女は枝を落とす。
 陸遜は慌てて手を伸ばし、その枝をつかむ。
 少年は花のついた枝と少女の顔を見比べる。
「あげる。
 綺麗だから、陸遜にあげたかったの。
 それを陸遜に取ってもらったら、意味がないでしょ」
 尚香はニコッと笑う。
「ありがとうございます、姫」
 立場が逆のような気がしたが、贈り物をもらったこと自体は嬉しかったから、陸遜は礼を言う。

 尚香はするすると樹を降り、陸遜の隣に立つ。
「元気そうで、良かった。
 最近、ずっと笑っていなかったでしょ。
 だから気になってたのよ」
「そうですか?」
「ええ。
 でも、今は笑ってるから、大丈夫ね」
「ご心配をおかけしました」
 陸遜は言った。

 こんなときまで年下だということがついて回る。
 いつも心配される側なのだ。

「心配するのは、当たり前でしょ。
 私と陸遜は友だちですもの」
 少女は断言する。
「ありがとうございます」
 もう一度、陸遜は礼を言った。


 歳の差を気にし、非力さを嘆く少年は気がつかない。
 特別扱いされている、という事実を。
 適度に甘えることを心得ている少女が決して頼らない理由。
 誰よりも気遣う理由。
 それは「弟」のようだから、では片付かないことを。
 少年はまだ気がつかない。


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