噂話

「噂は否定しなくていいのか?」
 珍しく書卓に向かって書きものをしている親友が尋ねた。
 執務を始めてから半刻。
 飽きてきたのだろう。
 休憩を挟むのには悪くない。
 ここで縛りつけて逃げ出された方が問題だろう。
 最愛の奥方にでも茶菓子とお茶を運んできてもらい夫婦団欒の時間を設けた方が得策だろう。
 お茶で喉を潤して茶菓子を楽しむ。
 それぐらいの時間を取ったところで、執務に穴を開けるほどではない。
 他国が大人しくしてくれているおかげで孫呉が切羽詰まっていないこともあった。
「孫策、休憩にしようか?」
 周瑜は提案した。
 書き上がったばかりの親友の竹簡を眺める。
「話題を逸らしたな?」
 孫策は興味津々に言う。
「せっかく奥方にお茶を運んできてくれるように頼もうと思っていたところだが、君には不必要なようだな。
 このまま執務を続行をしてくれても私はかまわない」
 周瑜は竹簡に書かれた文章を追いかけながら言った。
 逃走癖のある主君を捕まえられるのは周将軍しかいない。
 そう周囲に思いこまれている節があった。
 おかげさまで逃亡防止用に見張り役を兼ねることも多い。
 あるいは孫策が逃走した時は、どんな状況であっても周瑜が呼び出されることが多すぎた。
「第一、噂というがどの噂だ?」
 周瑜は確認をする。
 これといった争いごとのない暇な時期なせいか、城下の人々はおおらかに噂話に興じていた。
 周瑜自身が話題の主になることも少なくない。
 主君と親友でもある臣下の追いかけっこは、娯楽の少ない人々にとっては、賭けの対象ですらあった。
 それぐらい平穏な時期であり、民衆が退屈さを感じているのは、孫呉にとって利点であった。
「周将軍は嫉妬深いから、最愛の妻を屋敷に閉じこめて、誰にも見せないように隠している。
 周将軍の妻は天女のように美しく、胡蝶のように可憐で、雲雀のように愛らしい声をしていて、心優しい。
 他の男が見たら、誰もが夢中になってしまうほどの風情だ。
 ……まあ、そんな噂だな」
 孫策は楽し気に言った。
「その噂か。
 全否定できるほど間違ってはいない噂だな。
 江東の二喬、と呼ばれるほどの佳人であることは間違いないだろう。
 印象は違うものの義姉上と双子のような容姿と声だ。
 義姉上は君が城下に連れて行ったり、視察を兼ねた遠駆けで目撃している民たちも多い」
 周瑜は読み終わった竹簡を巻いていく。
 竹の乾いた音が部屋を彩る。
「嫉妬深い、は訂正しなくていいのかってことだよ」
 孫策が口の端を歪める。
「私とてただの男だ。
 妻に望んだ佳人が他の男に盗られるようなことになったら、臓腑が煮えくり返るだろうな。
 嫉妬深い、ということは否定ができない」
 周瑜はためいき混じりに答えた。
「閉じこめている、ってのは嘘だろう?
 あんなに自由にさせてやっているのに」
 孫策はニヤニヤと笑う。
「小喬は城下で装飾品を選んだり、江で水遊びをするよりも、屋敷の中で過ごすことの方が好むようだな。
 尚香様や義姉上に誘われると違うようだが……、休日に尋ねてみると屋敷で時間を共にしたい、と言われる。
 客観的に見れば閉じこめている、と民に言われても仕方がない。
 それに城に上がり、奥まで来れるような人物たちはみな知っている」
 周瑜は巻き終わった竹簡を書卓の端に置く。
「周瑜にとって、不利益じゃないのか?」
 孫策は目を輝かせて尋ねる。
 新しい玩具のようなものだろう。
 二喬が江東に来てから半年。
 麗しい佳人だという宣伝付きで都から僻地まで嫁いできたのだ。
「事実を知っている者がいれば充分だ。
 民たちの噂は可愛らしいものだ。
 否定しまわった方が肯定しているようなものだろう。
 火に油を注ぐようなものだ。
 逆効果にしかならない」
 周瑜は苦笑した。
「お前がいいなら、それでもかまわないけどさ。
 で、休憩時間をくれるなんてずいぶんとお優しいことで。
 裏で何かありそうな予感がするぜ。
 休憩時間の後に、みっちりと案件を持ってくるとか」
 孫策は言った。
「君の見張り役を交代するだけだ。
 義姉上と一緒にお茶を楽しむ時間を棒に振ってまで、君がこの場から逃走するとは思えない。
 義姉上は真面目な方だから頼んでおけば、君と一緒になって、どこかに遊び行くとも考えられない。
 充分な利点だろう?」
 周瑜は微笑んだ。
「その間、お前は他の仕事か?」
 気の毒なものでも見るように孫策は言った。
「そこまでお人好しではないさ。
 私にも利点がある。
 小喬は義姉上のところでのんびりしているだろうから、君が夫婦水入らずの時間を取るというのなら、私にもその機会があるということだ。
 堂々とした口実だろう」
 周瑜は言った。
「お互いの利益が合致というわけか。
 しばらくは書類整理かー。
 大喬のお茶が飲めるのはありがたいけどな」
 孫策は深々とためいきをついた。
 部屋の中で竹簡に囲まれているよりも、体を動かしている方が好む親友らしい発言だった。
 孫呉の主であれば、ある程度の内政はしてもらわなければならない。
 優秀な側近がいて、優れた上奏文が届いたとしても、採決をするのは孫呉の主だけなのだ。
 周りは諫言ができても、決定はできない。
「諦めてくれ。
 君が逃げ出して、時間を無為にするよりも、こちらの方が効率が良いんだ。
 その分、君が奥方と過ごせる時間も増えるのだから、不都合があるわけではないだろう?」
 周瑜は親友を諭すように言う。
「でも、今しかない景色や花がある。
 全部を大喬に見せてやりたいんだ」
 孫策は言った。
 全部、自分で見せてやりたいのだろう。
 供など付けずに二人きりで、生まれ育った場所を案内したのだろう。
 すぐ傍で、笑顔を、喜ぶ声を、味わいたいのだろう。
 気持ちもわからなくはないが……、譲れないものもある。
「もう少し落ち着いたらすればいい。
 花は毎年、咲くのだから。
 これから人生を共にすると決めたばかりだろう。
 焦る必要はない」
 周瑜は微苦笑した。
「毎年、花は咲くけど、同じものは一つもない。
 その年ごとに少しずつ違うだろう?」
 孫策は一つの真理を言った。
「こうして私と話している間も休憩時間は減っていく。
 君が執務を再開する、というなら話は別だな」
 周瑜は現実を突きつけた。
「どうやら周瑜の案を飲んだ方が得みたいだな。
 俺だって大喬と過ごす時間が大切だ。
 我慢させていないか、心配だからな」
 孫策が珍しく気遣いらしいものを口にした。
 それだけ大切な妻ということなのだろう。
 周瑜は目を細めた。


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