それは紅蓮の炎を背後に。
「私と共に来ていただけませんか?」
笑顔と共に告げられた。
不帰道へのいざない。
諦めと絶望が綯い交ぜになった声だった。
ものが燃える音とうめき声の中、静かなその声はきちんと耳に届き、そこに宿った色まで読み取れた。
辺りは煙が立ち込め、嫌な匂いが鼻についた。
「嫌よ!」
孫呉の誇る弓腰姫は勝気に断った。
そんな誘いに乗る理由はどこにもなかった。
彼と共に、どこへ行くと言うのだ。
尚香には帰る場所がある。
そこに戻る義務と、権利があるのだ。
放棄する気は、まったくもって……ない!
燃え盛る炎よりも鮮やかな緑の瞳は、少年を射殺すように睨みつける。
「あ。
やっぱり、そうですよね」
笑顔のまま、孫呉の未来の英知は言った。
「やっぱり、と思うなら!
最初から訊かないでよ」
尚香は言った。
その明るい緑の瞳と同様、彼女は未熟と希望、未来の象徴。
どんな状況であっても、絶望しない。
「でも、念のために訊いておこうと思ったんです」
陸遜は言った。
その声は弾んでいる。
いや、息が上がっていると言ったほうが正しい。
「結果がわかっているなら、訊くだけムダでしょ」
応じる尚香の声も、疲労の色が濃い。
「訊くまで、結果は決まっていませんから。
でも、安心しました」
「あなたを安心させるために、言ったわけじゃないわよ!
私が嫌だっただけよ!」
尚香は怒鳴った。
がたがたの体により打撃を与えるとわかっていても、そうせずにはいられなかったのだ。
弱音を吐くのは性に合わない。
自分は江東の虎の娘なのだ。
その誇りが孫尚香を奮い立たせる。
「わかっていますよ」
すぐ近くで、陸遜は笑う。
相手の息づかいがわかる。
どちらの武も似ているからだ。
1、2、3と拍子を刻み、4で放つ。
でたらめの音を奏でる心臓は、拍子を数えるのに役立たない。
それよりも確実なのは、側にいる者の刃の音。
狂いなく振るわれる白刃が刻む音が、基準。
よく舞うが如くの武の冴えと言うがそれは正しくない。
二人の武は、舞そのものなのだ。
一つの型をくりかえし、乱れない様で敵を打つ。
最速で最良な型をなぞる。
だから、誰よりも速く、何よりも正確なのだ。
拍子が狂ったが最後、それは脆く打ち砕かれる。
「それよりも、私と共に来なさい!」
尚香は言った。
自軍を軽く上回る敵軍勢を目の前にして、彼女は艶やかに笑った。
高く広がる青空よりも晴れやかな、一点の曇りもないものだった。
少年はその笑顔に元気づけられたのか、困ったような曖昧な笑顔を浮かべる。
お得意の微笑だ。
「そういうところが大好きですよ、姫」
陸遜はいつものように、のんびりと言った。
ここが戦場だと忘れかけているんじゃないか、と他人を心配させるような物言いだった。
「こんな状況じゃなければ、嬉しかったわよ、陸遜」
背中を預ける人間が、調子を取り戻してくれたのがわかり、少女も一息つく。
立ち止まる気は、まだない。
死に場所は自分で決める。
少なくとも、ここではない。
「では、努力します」
「そうしてちょうだい」
尚香はお願いをした。
紅蓮の炎の中。
生き残るために、二人は走り出した。
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