孫呉の勝利を約束するように、その焔は天まで届く。
風に乗る敵兵の断末魔の声。
常であれば、高揚感をかきたてるそれが、今は耳の中で反響しているだけ。
炎は天の意思のように、曹魏を呑み込んでいく。
祭壇が設けられていた場所に少年は立っていた。
ここからは孫呉の陣構えも、曹魏の陣構えも良く見える。
道は真っ直ぐと続き、進退は自由。
実に、良い場所であった。
東南の風が少年の短い髪をさらっていく。
「何でも燃やし尽くしてしまえそうですね」
陸遜はつぶやいた。
呉はこのまま、力をつけていくだろう。
自分は呉の重きをなす将兵となるだろう。
今はまだ使われる身であるが、大軍を率いて軍場に立つ日が必ず来るだろう。
そのとき、戦うのはいずれだろうか。
現在敵対している曹魏か、それとも奇跡の風を読んでいた蜀漢か。
どちらにしろ、手ごわい相手だった。
「もう一つ、ありましたね」
うっとりとはしばみ色の瞳は炎を見つめる。
陸遜が戦わなければいけないものは、その心のうちにいた。
目の前にはいない。
少なくとも、手を伸ばせば届く距離にはいない。
祝福された色の瞳を陸遜は思い出す。
「こちらの方が厄介です」
浮かべた微笑は、いつものものとは違うもの。
苦いことを知っていながら受け入れたような、諦めにも似た空気が漂っていた。
「この業火で燃やし尽くせれば良いのに」
少年は瞳を伏せた。
ある日生まれた、気持ち。
それは少しずつ大きくなっていく。
気がついたときには、手遅れになっていた。
なかったことにするには、自分の心に同化しすぎていた。
切り取ってしまったら、自分は自分ではなくなってしまうことは、目に見えていた。
けれども、それと共に生きていくのは、ためいきが出るほど面倒だった。
元に戻りたい、と思う。
何も知らなかった頃に。
出会う前に。
過去をやり直せるなら、絶対あの瞳を見ないですむ未来につながる道を選ぶだろう。
それほどまでに、陸遜の心は囚われていた。
「陸遜!!」
遠慮ない声が彼の名を生き生きと呼んだ。
少年はいつものように柔和な笑みを浮かべた。
「姿が見えないと思ったら、こんなところで何しているの!?」
祭壇の下から、少女が叫ぶ。
孫呉の誰もが愛する弓腰姫。
戦場の炎の中でも、けして見失うことのない緑の瞳。
それが、今は陸遜だけを見つめている。
ちょっとした優越感。
渇望に、やさしく降る雨だった。
「孫呉の未来を!」
陸遜は祭壇から飛び降りた。
「つまり、サボっていたわけね。
心配しちゃって、損したわ」
尚香は肩をすくめる。
「それで私を探してくれたのですか?」
はしばみ色の瞳が、嬉しそうに輝く。
「通りがかっただけよ」
「ありがとうございます」
「礼を言われるようなことをした覚えはないわ」
尚香は不機嫌に言った。
やはり彼女は泣きたくなるぐらい「やさしい」。
究極的な「やさしさ」に、心が癒される。
「そのお気持ちが嬉しいんです」
「自意識過剰じゃない?」
尚香は怒ったように言う。
意地を張る少女が可愛いと思うし、この距離感が一番安心する。
友情のような、愛情のような。
家族にも似た絆が嬉しい。
「よく言われます」
陸遜は笑った。
恋に一歩、落ちる手前。
だからこそ、この気持ちは厄介だった。
今のままでいたい。
恋になって、醜い自分を見せたくない。
嫌われたくない。
二人で恋に堕ちるよりも、友人として肩を並べたい。
そう願うしかできない。
炎で焼き尽くすことの出来ない想い。
それが陸遜を蝕んでいく。
お題配布元:空が紅に染まるとき 真・三國無双TOPへ戻る