一年に一度の約束


「どうしたの?陸遜」
 緑の瞳が少年の顔をのぞきこむ。
「いえ、何でもありません」
 微かに笑みをつくると、陸遜はゆるく首を振った。
「何でもないって、顔してなかったわよ!」
 尚香は唇を尖らせる。
 紅もまとわぬ、彼女本来の色に、どぎまぎして視線をそらす。
 緊張を沈めようと、息を吸い込む。
 が、花のような甘い香りが肺いっぱいに広がって、逆効果になってしまった。
 心臓が落ち着かない。
 
 でも、悪くない。


 いったい、いつからだろうか?
 ずっと、ずっと……好きだったような気がする。
 それこそ、この世界ではじめて目を開いたときには、すでに囚われていた気がする。
 そんなはずはないのに。
 そう、感じる。


「陸遜はいつも、そう!
 秘密主義ね」
 隣を歩く少女が言う。
「全部、知ってしまったら、想像の余地がなくて面白くないと思いませんか?」
 はしばみ色の瞳がなごむ。
「思わないわよ」
「そうですか。
 残念です」
「……残念そうに聞こえないわよ!
 もうちょっと、それらしく言ったらどう!?」
「それらしく、でかまわないんですか?」
「仕方じゃないじゃない」
 尚香の声が少し高く、細くなる。
 まるで、今宵の星光のように、繊細に響く。
 先を見つめる緑の瞳は、瞬きをしない。

「私には、あなたの本音なんて……わからないんだから」
 しぼりだすように告げられた言葉に、少年は普段と違う笑みをこぼした。
 照れたような、困ったような、本当に嬉しそうな笑顔だった。
「姫は、本当に私を喜ばせるのが上手ですね」
 そう言った少年の声も、また抑えがちだった。
「あなたを喜ばせようと、言葉を遊んだことはないわよ!」
 尚香は向き直る。
 明るい色の髪がさらりと揺れ、その白い顔を縁取る。
 それがとても綺麗だった。
 純粋に、その一瞬だけの美に、少年は酔う。


 どうすれば、良いのだろう。
 彼女はこんなにも無垢だ。
 自分との違いに、しめつけられるような想いを味わう。
 その違いを見つけて、安堵する自分に気づく。


「そうですね。
 だから、感動的ですよ」
 少年は、いつものように微笑んだ。
「陸遜の言葉は信じられないわ」
「今宵ぐらいは信じて欲しいですね」
「じゃあ、今夜は嘘をつかない?」
 尚香は尋ねた。
「約束はできません」
 陸遜はのんびりと言った。
「ほら!
 これで、どうやって信用しろって言うの!?」
「正直になるのは、大変なんですよ」
「私は大変だと思ったことはないわ」
「ええ、姫ですから」
「馬鹿にしてるの?」
「褒めてるんですよ」
「全然、そう聞こえないわ」
 尚香は大きく息を吐き出す。



 二人は立ち止まる。
 目的地に着いたからだ。
 誘い合わせるわけではなかったが、色の違う瞳はそろって天を仰ぐ。
 天を満つるは、星。
「一年に一度の約束は叶いそうですね」
 陸遜は言った。
「そうね。
 でも、陸遜は約束してくれないんでしょう?」
 すねたように少女は言う。
「ええ」
 少年のはしばみ色の瞳は、少女の姿かたちを抱きしめる。
「一年に一度では、寂しくて気がおかしくなりそうです。
 こうして、毎日一緒にいても、物足りないのに」
 陸遜は言った。
「え?」
 意味を取りかねている少女の手を取り、言葉をつむぐ。
「牽牛よりも、覇気はあるつもりですよ。
 雨が降っても、天河を渡ります。
 たとえ、天帝が反対しても、傍にいます。
 ……ずっと」
「まるで恋の告白みたいね」
 目をぱちくりとさせて、尚香は笑った。
「『まるで』と『みたい』は余分ですよ、姫」
 陸遜はささやいた。
「嘘つかないって、どうして約束してくれなかったの?
 信じられないじゃない」
「これは嘘ではありませんよ」
「仕方がないから、牽牛と織女のために信じてあげるわ。
 だって、一年に一度の逢瀬ですもの」
 少女はそう言うと、しばし迷った後。

 静かに緑の瞳を伏せた。


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