季節の移り変わりは、空を見上げれば十分に確認できた。
雲一つない哀しすぎる青い空は、その色を淡く淡く。
玻璃の破片のような陽光をきらきらと含み、豊かな蒼へと変わった。
干上がるような季節が訪れる直前。
農民たちが太陽に祈る時期。
孫呉の姫、孫尚香は院子で日向ぼっこをしていた。
流れゆく雲を数え、梢を揺らす風の音を聴く。
大きな戦と大きな戦の間の、ぽっかりと空いてしまった時間。
退屈で、つまらない……貴重な日々だった。
お茶を持ってくれば良かったかしら?
喉が渇いてきたわ。
茶菓子があれば言うことなしね。
尚香がそんなことを考えているときだった。
ふいに自分の影に、重なる影。
穏やかな気配に振り仰げば、盆を片手にした孫呉の未来の英知。
「お茶はどうですか?」
陸遜はにっこりと訊いた。
「あら、ずいぶんと用意が良いのね。
今、お茶が欲しいと思っていたところなの」
陸遜以上に給仕姿が似合う将はいないわね、と尚香は心の中で苦笑した。
しばらく、暇な日が続きそうだった。
有能な軍師がプラプラとしているのが、その証拠。
「そんな気がしたんです」
陸遜は尚香の隣に腰を下ろす。
二人の間に盆が置かれる。
「良くわかるわね」
「姫のことばかり考えていますから」
綺麗な笑顔で、さらりと少年は言う。
「軍師としてはどうかと思うわ」
「私個人としては?」
「……私は孫家の姫なの。
示しがつかないでしょ」
尚香は笑った。
「今さら気にする必要はないと思いますよ」
「ダメよ、陸遜。
けじめはきちんとつけなきゃいけないわ」
「あなたは残酷なまでに魅力的ですね」
陸遜は盛大にためいきをつく。
「今頃、わかってくれたの?」
尚香は軽口を叩きながら、茶菓子を取る。
小麦をこね、砂糖がまぶしてあるそれは美味しそうだった。
「果物じゃないなんて、珍しいわね」
「ええ、姫の言葉は甘さが足りないから、補充してもらおうかと思って」
陸遜は微笑みながら言う。
「お菓子を食べたら、甘くなるものなの?」
尚香は菓子をつまみながら尋ねる。
「少しぐらいは変わるかな、と期待したんです」
「甘い言葉ね……」
尚香はお茶を口に含む。
「砂糖……とか?」
少しばかり悪戯心を起こして、尚香は言葉を乗せる。
「………………本気ですか?」
はしばみ色の瞳は、すがりつくように少女を見つめる。
「冗談よ。
どんな言葉が甘いのかしら?
見当もつかないわ。
言葉自体は甘いも、辛いもないものでしょう?」
尚香はクスクスと笑う。
「たとえば……好き、とか」
陸遜は言った。
「そうかしら?
肉まんが好き。
お日さまが好き。
夏が好き。
鍛錬が好き。
……甘いかしら?」
尚香は首をかしげる。
「そういう意味じゃなくて……」
少年は肩を落とす。
「何でもないです。
忘れてください」
陸遜は息を吐き出すと、言った。
執着するようなものがあるとは思えないほど、諦めが良い少年だ。
非の打ち所のない笑顔を浮かべる。
「何でもない言葉でも、十分甘くなることもあると思うわ。
私の好きな言葉を教えてあげる」
尚香はこの季節特有の光に似た笑顔で言った。
「陸遜」
「甘くないかしら?」
尚香は尋ねた。
「甘いですね」
陸遜は少女から目をそらした。
少年の頬は、院子の牡丹よりも赤く染まった。