建業にも過ごしやすい秋の便りが届くころ。
その庭院に少年は、心ここにあらずという風情でたたずんでいた。
紅に染まった葉をさらう風が、少年まで虚空へと連れていってしまいそうだった。
「悩みごと?」
明るい声が陸遜を現実に引き戻す。
はしばみ色の瞳を瞬かせ、声の方向に頭をめぐらす。
光そのものをまとった少女が立っていた。
「名前呼んだのに、気づいてもらえなかったから」
尚香はニコッと笑う。
「申し訳ありません」
「別に良いわよ。
気にしてないから」
その明るい声に慰められる。
「で、代わりに教えて。
何、考えていたの?」
緑の瞳は好奇心で生き生きと輝いていた。
はぐらかそうと少年は口を開いたが、それは音にならなかった。
陸遜は観念したような微笑みを浮かべた。
「どこかへ、行きたいと思って」
「どこへ?」
「具体的な場所は思いつかないんです」
少年は言葉を区切り、空を見上げた。
深みが増して、青玉よりも澄んだ青い空が広がっていた。
「どこか遠くへ……。
行きたいと」
聞かせるつもりがないような小さな声が、空のように青い色合いで告げる。
「行ってどうするの?」
少女も空を仰ぐ。
「考えていませんでした」
陸遜は苦笑する。
いつも。
いつも、そうだ。
見落としていることに気がつく。
「私を知らない人たちのいる場所へ、行ってみたかったんです。
ここから逃げ出したかった……だけかもしれませんね」
陸遜は気づかせてくれた少女に向き直る。
責任の重さに。
時折、息の仕方がわからなくなる。
どこかへ、どこか遠くへ、どこか知らない場所へ。
行きたい……と願ってしまう。
「あら、そうなの?
てっきり、西の果てまで行きたいのかと思っていたわ」
尚香は言った。
「そんな覇気はありません」
少年はためいきと一緒に言う。
ねたましくなるほどの、明るさだった。
きらきらと輝く少女を羨ましく思う。
「行くときは教えてね」
「え?」
「ついていくから。
楽しそうじゃない」
少女はニコニコと言う。
「それでは意味がありませんよ」
陸遜は微笑んだ。
どこかへ……。
行くことはないだろう。
ずっと、ここにいるのだろう。
光を見失わない限り、どこへも行けないのだろう。
陸遜はもう一度だけ、空を見上げた。