「司馬懿様。
私の大好きな人を紹介します!」
ニコニコとは言った。
司馬懿の手が止まる。
墨がたっぷりとつけられた筆がふるふると震える。
「興味がない」
一呼吸置いてから司馬懿は答えた。
「そんなこと言わないでくださいよ。
話、そこで終わっちゃうじゃないですか」
不満げに少女は言った。
「時間の無駄だ」
司馬懿は続きを書くことを断念して筆を置く。
「その人はとってもカッコ良いんですよ。
紹介するから、一緒に来てください」
は司馬懿の袖を引く。
「私は忙しい」
冗談じゃなかった。
死んでもそんな相手の顔は見たくない。
司馬懿の心境などお構いなしに、は続ける。
「またまた〜。
今、暇そうにしていたじゃないですか。
こっちです」
連れてこられたのは、人気のない庭。
主の寵を失ったのか、それとも気に障ることでもあったのか、その庭は打ち捨てられたようだった。
風雅な東屋は蔦に覆われ、艶やかな花の隙間を縫って、益体もつかぬ草がはびこる。
「その人は背が高いんですよ」
歩きながらは言った。
その声が癇に障る。
「お前より背の低い男は少ないだろう」
司馬懿は憮然と答える。
「その人はとっても頭が良いんです」
少女は気にせず、おしゃべりを続ける。
「お前より馬鹿なら、人間として救いがないな」
「それだけじゃなくて、けっこう戦いも強いんですよ」
は手離しで褒める。
「このご時世、生き残るためには武力も必要だろう」
「その人は自分の信念を持っているんです」
まるで自分のことを自慢するように話す。
「はいはいをするような子どもではあるまいし」
「それに、頼りになる人なんです」
喜びで満ち満ちた声が綴る。
自分ではない、誰かのことを。
「お前が頼りなさ過ぎるのだろう」
「その人は私にとってもやさしくしてくれるんです」
夢を見るような瞳とはこのことだろうか。
やさしくされた記憶でも思い出しているのだろうか、とても嬉しそうな顔をする。
それが憎たらしかった。
「ずいぶんとお節介な人間もいたものだ」
「しかも、将来有望♪」
「また、金の話か」
不快になっていく。
わずかなことが苛々の原因になる。
自分らしくないことぐらい、司馬懿にだって自覚はある。
だが、我慢できないのだ。
少女が語る男が、どうして自分ではないのか。
どす黒い炎が身のうちを焦がす。
「それで……その人の傍にいると、すっごい幸せな気分になるんです」
大切な、本当に大切な宝物のように、は静かにささやいた。
吸い込まれそうな黒い大きな瞳が司馬懿を見上げた。
「……ずいぶんと都合の良い相手が見つかったものだな」
青年は嫌味を言えなくなってしまった。
少女が本当にその男を好きなのだ、とわかってしまった。
だから、司馬懿は何も言えなくなってしまった。
が立ち止まる。
その紹介する相手とやらがいるのだろう、と司馬懿は辺りを見渡した。
廃園に人影はない。
見渡す限りの無秩序で、活気のあるものはない。
強いてあげれば、目の前の池に不釣合いな緋鯉が泳いでいるぐらいだった。
「人間ではないのか?」
司馬懿はを見つめた。
小柄な少女はこれ以上ないぐらいの幸せそうな笑顔を浮かべる。
「ちゃんと、そこにいますよ。
池を見てください」
に言われて、司馬懿は池を覗き込んだ。
「私の大好きな人を紹介します。
それは、司馬懿様です!」
能天気な声が言った。
「くだらない。
やはり、時間の無駄だったな」
司馬懿は一笑した。
「えー、どうしてですか!?
一世一代の告白のつもりだったのにぃ。
どこが悪かったんですか?」
「全部だ」
何もかもがくだらない。
あらやこれやと考えていた自分が一番くだらなかった。
「救いがないにもほどがあります」
「間抜けだ」
司馬懿は水面に映った己を見た。
「そうかもしれませんけど。
一生懸命考えたんですよ」
不満そうには言った。
「そうではない」
「?」
水面に映る少女が小首をかしげる。
困ったことがあったとき、わからないことがあったときの癖だ。
「それで、紹介した後どうするつもりだったのだ?」
「へ?考えていませんでした」
考えなしの返答に司馬懿は少女らしいと思いながらも、苦笑した。
「言うだけ言ってすっきりして終わりか。
愚かだな。
ここで私がお前に興味はなく、そういう想いを持たれるのも迷惑だから、解雇すると言ったら、どうするつもりだったのだ?」
「……そうですよね。
えーっと、じゃあ聞かなかったことにしてください。
クビはちょっと困るんで!」
は必死になる。
水面に揺れる少女の影に青年は目を細める。
「私の大切な者も、ここに映っている。
それが答えだ」