「司馬懿様〜!」
朗らかに少女は青年の名を呼ぶ。
この季節には到底望めないような明るさで、あたたかさで、煌めきで。
まるで半年前に立ち去ってしまった、そんな感傷を抱かせる分には充分な輝きで。
真夏の太陽のように。
公平で、平等で、容赦なく。
司馬懿を曹魏という名の大地に影のように縛りつけるように。
「もうすぐクリスマスですね!
どんな奇跡が起こるんでしょうか?」
は長い髪を揺らしながら、小走りで近寄ってくる。
どんな事柄でもあっても喜びを見出すことを知っている少女だ。
曹魏にもお祭り騒ぎが嫌いではない人種が揃っている。
皇帝や皇后からして、そうなのだから、城中が賑わっている。
「正確には、太陽の復活祭だな」
「知ってますよ。
お日様が少しずつ長くなるんですよね。
冬至っていうんですよね」
はニコニコと笑う。
「良く知っているな」
「当たり前じゃないですか。
司馬懿様が教えてくださったんですよ。
忙しい司馬懿様がわざわざ私のために教えてくださったんです。
私はちゃんと全部覚えていますよ!」
は楽し気に言う。
「ならば奇跡など起きないことも知っているだろう」
「もちろんです。
でも、ちょっとぐらい奇跡が起きてもいいかもしれないと思いませんか?」
「神頼みなど性に合わない」
「司馬懿様だったら、どんな願い事も叶えちゃえるかもしれませんけど、一つぐらいは祈ってもいいと思いますよ」
「滑稽だな」
「そうですか?
どんな小さなことでもいいんですよ」
「その口ぶりだと、叶って欲しい願いがあるのか?」
司馬懿は小柄な少女を見やる。
おしゃべりな少女は押し黙る。
どうやら、叶って欲しい願いがあるようだった。
それも西洋の文化に期待するほどの願い。
ここから、どう口を割らせようか。
司馬懿は思考を巡らせる。
正攻法で行くか。
搦め手で陥落させるか。
それは遊戯盤の駒を動かすことによく似ている。
どちらにしろ我慢比べには向いていない少女だ。
鎌をかければ、いつものように考えていることを垂れ流すだろう。
「小さなことなら話せるだろう」
司馬懿は尋ねた。
真夜のような漆黒の目は雄弁だった。
灯燭のように揺れている。
不安と期待に入り混じった雰囲気だ。
は裳裾をぎゅっとつかみ、唇をかみしめた。
「私が叶えられる範囲なら、便乗して叶えてやってもいいが?」
司馬懿は提案した。
「言ったらお願いって叶わなくなるって言うじゃないですか?」
必死には言った。
他愛のない願い事なのだろうが、少女にとっては重要なことだということがわかった。
「代わりに叶えてやる、と言っているのだ」
「絶対に無理です!」
は断言した。
ここまで意地になられると、聞きたくなるのが人の性だ。
おしゃべりな少女が自分だけに言えない願い。
心当たりはひとつぐらいだ。
金にがめつく、現金な体質なのは表面だけなのだ。
護衛武将時代に俸給が上がるのを望んだのは故郷に残した家族のためだった。
年頃の少女だというのに、仕官した理由ですら、それだった。
生命のやり取りの現場に身を置き続けたのも、それだった。
亡き父に習った弓の腕前で、病弱な母の代わりに、幼い弟妹を守るために、差し出せるものをすべて差し出したのだ。
もっと待遇の良い仕事だってあったはずだ。
実際のところ、司馬懿の下で侍女まがいや書生まがいの仕事をさせれば、物覚えが良かった。
護衛武将にこだわる必要はないほどの、素質だった。
少女は他者が思うよりも、無欲で、遠慮深い。
自分のことよりも、他人のことを考える。
「どんな奇跡も起こるのか。
ならば、私の願いを叶えてもらおうか」
司馬懿は言った。
大きな瞳が瞬く。
「司馬懿様のお願いですか?
私にできることなら、何でもしますよ!
どんなお願いですか?」
嬉しそうには尋ねる。
「殿と甄姫様を説得してこい」
「へ?」
「久しぶりに屋敷で休暇を取ってもいいだろう。
このところ仕事を押しつけられているからな。
正月になったら行事が立てこむのだ。
その前に一日ぐらい休みをもらっても文句は言われないだろう」
「本当ですか!?」
真昼の照明器具を呼ばれる少女の笑顔がもっと明るいものになる。
どうやら、叶って欲しい願い事に近づいたようだった。
年末進行、という言葉で慌ただしかったのだ。
一日もらえる休暇が、クリスマスであってもかまわないだろう。
下手に宴に出るよりも、楽しめそうだ。