2月14日。
鍛錬の後、上司の元へが行くと、すでに可愛らしいラッピングがされた箱が山積みになっていた。
かくいうもその山も増やすために、同僚から受け取ってきたばかりだった。
同僚からのチョコレートを山の天辺に乗せる。
毎年恒例とはいえ、この量はスゴいよね〜。
司馬懿様は、やっぱりモテるよね。
お金持ちだし、身分も高いし、殿から絶大の信頼を得ているし。
結婚するなら良物件だよね。
そりゃあ、誰でも好きになっちゃうよね。
「おはようございます、司馬懿様」
は言った。
書類整理をしていた司馬懿は一瞬だけを見て、その視線は書類に戻っていった。
「ハッピーバレンタインですよ」
めげずには言った。
「どうせ義理だ。
食べたければ食べていけ」
「乙女が真心を込めて作ったものかもしれませんよ」
「余計に食べられないな。
何が入っているか分からない」
筆はたゆまず動いていき、まるでの言葉など聞いていないようだった。
司馬懿様、私の話を無視ですか?
バレンタインは一年に一度の告白大会ですよ。
みんな一生懸命に作っているかもしれないのに。
「どうしてですか?」
は尋ねた。
「毒が入っているかもしれないだろう?」
「そんなはずありません」
間髪入れずには答えた。
渡してくれたみんなは、真っ赤になりながら私に頼んだもの。
毒殺しようなんて、思ってもみないはず。
一口でいいから、食べてほしいと願っているはず。
それぐらい司馬懿様だって分っている、と思うんだけど。
「なら、それを証明してみせろ」
司馬懿は冷淡に言った。
「毒見ですか?」
任せてください」
は胸を張る。
チョコレートの山から無選別に箱を取る。
手のこんだラッピング。
まさしく本命チョコレートだ。
「ごめんなさい。
司馬懿様じゃなくて」
は律儀にチョコレートに謝って、口に入れる。
美味しい〜。
舌の上で蕩けていく。
香りが高く、控え目の甘さ。
司馬懿様があまり甘いものを食べない、って知っているんだろうな。
手作りでこの味って、スゴいなぁ。
「これ、美味しいですよ」
は司馬懿に薦めた。
司馬懿の手が止まっていた。
少女をじっと見つめていた。
「お前の残り物を食べろと言うのか?」
「毒見って、そういうものじゃないんですか!?」
「美味しかったのだろう。
全部、食べるといい」
司馬懿は仕事を再開する。
その様子に、はためいきをつく。
一口ぐらい、食べてあげてもいいのに。
司馬懿様の気持ちって全然、分からない。
頭がいいのに、乙女心ってものが理解できないなんて。
殿ですら、その辺ちゃんと押さえているのに。
でも、分かっていて冷たくしているのかなぁ。
そんな司馬懿様にチョコレートを用意する女の子たちって不憫だよね。
報われないのが気がついているだろうし。
「司馬懿様もけっこう慕われているんですね」
はけろりと言った。
食べているチョコレートは二箱目に入っていた。
「けっこう、とは?」
司馬懿は尋ねてくる。
今日の司馬懿様って変。
いちいち引っかかってくるんだもん。
それとも照れ隠し?
そんなはずないよねぇ〜。
命の値段も安い護衛武将と世間話をしているだけだもん。
「こんなにたくさんのチョコレートを貰えるなんて。
そんな方にお仕えできて嬉しいです」
は微笑んだ。
本心からの気持ちだった。
「お中元やお歳暮と変わらないだろう。
いや、いっそそれぐらいの手軽さの方がマシかもしれないな」
司馬懿は深々とためいきをついた。
「何か気になることでも」
は司馬懿を見つめる。
ふいと視線をそらされた。
これ、何かあるパターンだ。
言いたくても言えないことでもあるのかな?
司馬懿様は意外と隠し事が下手ですよね。
「食べ続けるのはかまわないが、カカオは媚薬の一種だぞ。
惚れ薬の原料の一つだ」
「そういうことは早く言ってください!
けっこう食べちゃいました」
は空になった箱を見る。
美味しいから、ついつい食べちゃったけど。
だから、司馬懿様は食べなかったのかなぁ。
「何か困ることがあるのか?」
司馬懿は筆を置く。
「だって今、司馬懿様と二人きりですよ!」
「それで?」
「私が司馬懿様を押し倒したら、どうするんですか!?」
は叫んだ。
それから沈黙が落ちた。
司馬懿は長々と息を吐く。
何か、変なこと言っちゃったかな?
司馬懿様、呆れているよね。
そういう態度だよね。
どんな失敗しちゃったんだろう?
「……面白い話を聞いたと思えばいいのか?」
「こう見えても、護衛武将なんです。
毎日、鍛えているんです」
「そんな細い腕で何ができる?」
「そうなんですよねー。
なかなか筋肉がつかないんですよね。
手もあまり大きくないですし。
って、話の流れを変えないでください!」
はハッと気がつく。
「脱線させたのはお前の方だ。
曹魏の軍師は最前線で立つことがあることを忘れたのか?」
「知ってますよー。
護衛武将なのに置いていかれて困ることがどれほどあるか。
もっと大人しくしてほしいと切に願いますって。
私が押し倒されちゃう側なんですか?」
司馬懿様だって、一応男性だし。
私の方が力があったとしても、上司を怪我させるわけにはいかないし。
抵抗できないわけじゃないでですか!?
護衛武将で、愛人。って複雑な関係にはなりたくはないんですが!
「そこのチョコレートの山を片付ける間に、そんな過ちがあるかもしれないな」
司馬懿は楽し気に言う。
「一生、食べないでください!
少なくとも私の前では」
「食べろと言ったり、食べるなと言ったり、忙しいな」
「からかってますね」
「媚薬なのは間違いはないな。
ほどほどにしておくんだな」
司馬懿は微苦笑を浮かべた。
まるで子ども扱い。
もう成人しているのに。
そんなに、私は子どもっぽいかなぁ。
まあ司馬懿様から見たら、こんなお馬鹿な護衛武将は子どもかもしれないけれど。
「どういうつもりでチョコレートを渡すんでしょうね。
やっぱり一夜の夢でも見てみたいものなんでしょうか?」
は空になった箱を見つめる。
話しながらもチョコレートを消費するのに忙しい。
媚薬だと言われても、美味しい物への手は止まらない。
「贈り主たちに聞いてこい。
私には分からぬ」
司馬懿は筆を執る。
「賞味期限内に食べ切れるんですか?」
はふと疑問に思って尋ねた。
「欲しい物でもない物を食べる気はない」
上司は冷淡に言う。
「司馬懿様はお金持ちだから、空腹の辛さを知らないんですよ。
これだけの食べ物が廃棄されてしまうのは、もったいないです。
贈り主も一口は食べてほしいと思っていますよ」
は言った。
司馬懿は顔を上げた。
「何故、チョコレートを用意していないお前が代弁する」
「さあ?
何となくです」
は小首を傾げる。
「もういい。
退がれ」
司馬懿は命令した。
「はーい」
は未練がましく、チョコレートの山を一瞥する。
食べないのなら、空腹に困っている人たちに配ればいいのに。
まあ、司馬懿様はそんな慈善事業みたいなことはしないんだろうけど。
チョコレートもかわいそう。
一口も食べられないまま、捨てられるなんて。
「控えの間にいますね。
お仕事頑張ってください」
とは言うと、ぺこりと頭を下げて司馬懿の執務室から明るく出ていった。