ノックの音もなく扉が押し開かれた。
そんなことをするのは一人きりだろう。
真昼の照明器具のような護衛武将だけだろう。
「司馬懿様、メリークリスマスですよ!」
お盆を抱えたが無駄に元気よく入ってきた。
「どこで覚えてきた」
仕事をしていた司馬懿の手が止まる。
異国の言葉と習慣だった。
寒村出身のには学はない。
嫌な予感しかしない。
「殿から教えてもらいました。
それで甄姫様とお菓子を作りました!」
は明るく白状する。
元より隠す気はなかったのかもしれない。
「配り歩いているのか」
司馬懿は顔を上げた。
「え?」
黒い瞳が瞬く。
「これは司馬懿様だけですよ。
今日は大切な人と過ごす夜なんですよね?」
は小首を傾げる。
「……大切か」
護衛武将からもれた意外な言葉に苦い思いをする。
身を盾にしてかばう護衛武将にとって、大切だと言われる。
そんな滑稽なことはあるのだろうか。
司馬懿にとって唯一無二の護衛武将に。
いつか命を散らして、星になる存在に。
「私にとっては司馬懿様です」
自信満々には言った。
それが少しばかり重く、司馬懿には感じられた。
一刻も早く立ち去ってほしい。
と話していると、調子が狂う。
どうして、それほどまでの信頼を預けることができるのだろうか。
「一人で食べるとよい。
甘いものはあまり好きではない」
追い払うように司馬懿は言った。
「そういうと思って控え目な甘さです。
どうぞ食べてください。
お茶も淹れてきました」
はお盆を見せる。
「見ればわかる」
司馬懿はそっけなく言った。
一人の時間が欲しかった。
「毒なんて入っていませんよ」
は食い下がる。
よっぽど食べてほしいのだろう。
大きな黒い瞳はキラキラと輝いていた。
「あいにく仕事が溜まっている。
お前だけで食べろ」
執務机の上に乗っている竹簡はいつも通り。
山になっている。
「聖なる夜もお仕事ですか?」
「平和でいいだろう。
……これも一つの戦場か」
司馬懿は呟いた。
零れそうになったためいきを飲みこむ。
「一休みしましょう。
休憩も大切ですよ」
は笑顔で言う。
「この仕事の山が見えないのか?
今日中に決済しなければならない」
「お茶もお菓子も冷めてしまいますよ」
「命令する権利を持っているのは、どちらだ?」
司馬懿は特権を使うことにした。
「……司馬懿様です」
護衛武将の顔が崩れそうになった。
「わかっているなら退がれ」
司馬懿は言った。
「わかりました。
控えの間にいるので、何かあったら呼んでくださいね」
は執務机の端にお盆を静かに置く。
「お菓子とお茶はここに置いておきますので、時間ができたら食べてくださいね。
甘いものは頭の栄養だ、って司馬懿様、おっしゃっていたじゃないですか。
それでは失礼します」
はお辞儀をして部屋をとぼとぼと出ていった。
入ってきた時とは正反対だった。
まるで泣きそうだった顔は司馬懿の見間違えではないだろう。
司馬懿は菓子を一切れ摘まんでみた。
くだらない、と思った。
期待する自分も、控え目な甘さの菓子をわざわざ用意する護衛武将も。
深い意味なんてないだろう。
そうわかっているから、ためいきが零れた。