司馬懿様の書斎の上。
ちょこんって、載っているおはじきのコマになりたい。
水色の、おはじきになりたい。
は本気で思っていた。
口に出したことはない。
願い事は秘めておくもの。
誰かに話した瞬間に叶わなくなってしまう。
というような迷信を信じているからではない。
口から先に生まれてきたんじゃないか、と言われるようなおしゃべりな少女である。
黙っている、というのは苦行でしかない。
絶対に叶えたい願い事であっても、これまで垂れ流しにしてきたのだ。
聞かれるとマズイ相手にもべらべらとしゃべってきた。
が今まで、おはじきになりたい。という願いを口にしたことがなかった理由は簡単だ。
言う機会がなかった。
これだけだ。
見事に、これだけの理由しかない。
少女は特別扱いされているような気がする、水色のおはじきのコマになりたい。と思った。
夕陽にきらきらと輝く、それは綺麗だった。
ダイヤモンドやサファイアよりも、綺麗だと思った。
弾いた瞬間に砕け散るような、役立たずのコマだと知っているけれど。
役にも立たないけれど、ずっと置かれている。
飾られている、って言ってもいいような気がする。
それが、とても――。
「弾棊のコマになったら、美味しいものを口にはできまい」
「それは困ります!!」
は言ってから、目をパチクリッとさせた。
「あれ、司馬懿様。
どうしてここにいるんですか?」
振り返れば、不機嫌度120%ぐらいの上官がいた。
いつでも機嫌が斜めっていそうな人物だが、傾斜角度が日によって違う。
今日はスキー板で滑降するのに、ちょうど良さそうな傾斜だった。
「ここは私の書斎だ」
司馬懿は言った。
「軍議は終わったんですか?」
は手を差し出した。
青年は抱えていた竹簡を少女に手渡す。
「話にならん。時間の無駄だった」
「じゃあ、もう話し合いはしないんですか?」
受け取った竹簡を書棚に並べる。
「知らん」
「司馬懿様でもわからないことってあるんですねー」
は暢気に言った。
分類どおりに竹簡を並べ終わると、少女は書卓を向く。
妙な間が開いていることや重苦しい沈黙が漂っていることなどおかまいなく、はニコッと笑った。
「お茶、淹れますか?」
「飲んできたばかりだ」
「美味しかったですか?」
は尋ねた。
琥珀のように美しい色の双眸が少女を見た。
「え、あ。
もしかして変なこと訊いちゃいましたか!?
殿がいらっしゃったんだから、美味しいお茶に決まってますよね!
す、スミマセン。
当たり前のことを訊いちゃって……」
少女はあたふたと言う。
「出されたのは、いつもと同じものだ」
「えーっと、つまり。
司馬懿様にとってどうでもいい味だったってことですか?」
「お前は、渇きを覚えて口にする水をいちいち考えながら飲んでいるのか?」
「美味しい水と、色んなものが混ざっちゃ水は、味が全然違いますよ!
むしろ、色が違います」
は口を歪めた。
透明で、苦味も塩っ気もない柔らかい水というのは、貴重なものだった。
湯飲みに注いだときに、砂や小石が混ざってない。
それがどれだけ珍しいものなのか。
戦場を転々としていると、自然とわかってしまう。
早い段階で護衛武将に大抜擢された少女は、幸いにしてそのような水で喉の渇きを癒すことは少なかったが。
司馬懿はためいきを一つついた。
「仕事をする。
呼ぶまで、外に出ていろ」
「はーい、わかりました」
は返事をして、一礼をする。
つい、ちらっと書卓の上のおはじきを見てしまった。
「失礼します」
これ以上、傾斜角度を険しくさせるのもよろしくない。
それぐらいのことはわかっている護衛武将は、上官の書斎を後にした。
水色のおはじき。
司馬懿様と一緒にいる、おはじき。
は追い出されても、あのおはじきは追い出されない。
それが、とてもとても。
羨ましい、と思った。