3月14日と言ったら、ホワイトデー。
一月前のバレンタインデーと並んで、恋の記念日。
そう、義理だのなんだのですっ飛ぶチョコレートと違って、ホワイトデーのほうが「愛」がこもっている確率は高い。
何故なら、男性諸君はこのイベントを軽視もとい、的確に捉えており、妻や恋人にだって贈らない人物続出だったりするのだ。
一月前に贈ったチョコレートの返しがくる確率は、はなはだ低い。
それでも、健気に女性陣はお返しを期待して、この日を楽しみにしているのだった。
そして、ここにもお返しを心待ちにしている恋する乙女がいたりしなかったりする。
「司馬懿様〜、司馬懿様〜!!
お返しをくださ〜い♪」
能天気な声が司馬懿の執務室に入ってくる。
すっかりそれに慣れきっている青年は仕事を続ける。
少女は、その書卓に近づき
「今日はホワイトデーです!
お菓子をもらえるんですよ」
楽しそうに言った。
ごく間近で、仕事の邪魔とも取れる勢いで話しかけられたら、誰であっても迷惑以外の何者でもない。
三国一キレやすい軍師にそんなことをした日には、禍々しい色のビームを5の倍数でもらってもおかしくはない――というか、それがこの曹魏の常識ですらある。
それだというのに、はにこにこと司馬懿に話しかける。
もちろん少女が怖いものなしというところもあるが、それ以上に重要なポイントがあった。
ちんちくりん……もとい、小柄で可憐で、ずぶと……もとい天真爛漫で、考えなしではなく、……前向きな少女が司馬懿の『恋人』であるためだ。
性格からして正反対な二人がめでたく恋人同士になった理由は、割愛する。
「バレンタインデーにチョコレートを渡した場合、わずかな確率で菓子が返ってくる…………ようだが?」
青年は手を止め、少女を見る。
はきょとんとする。
お菓子をもらえるとばかり思っていた少女にとって、予想外の展開だった。
「私はお前からチョコレートをもらった記憶がない」
「う……。
でも、ほら……っ。
他にあげたじゃないですか!
だから…………もらえるかなぁって。
もらえませんよね、やっぱり」
書卓の上に置かれた小さい手がきゅっと握られる。
はためいきをついた。
もらえるものは何でももらっておけ。
投資した分は取り返せ。
という精神で、書斎に来たものの期待通りの結果にはならないようだった。
勇気を奮ってきたのに、損した気分になった。
それが偽ざる少女の心境だった。
「同じものだったら、返してやってもいいのだが?」
司馬懿は提案した。
「同じもの?」
「お前が私にくれたものと、同じものだ」
愉しげに青年は言う。
「…………同じ。
そ、それって!!
く、く、くち……いりませんっ!
遠慮しておきます!
ほら、その、あの。
ずーずーしかったですよね。
チョコレートをあげていないのに、お返しをもらおうだなんてっ!!
あはは」
ジリッとは書卓から離れる。
少女の頬が赤いのは、勢い良くしゃべったせいだけではないだろう。
一月前の記憶が、まざまざと思い出されたのだ。
そのお返しとなると、恋に関して奥手な少女にとって刺激が強すぎる。
「」
冬の太陽を凍らせたような色の瞳が少女を見つめる。
低い声が、抑えた口調で自分の名前を呼ぶ。
白い手が差し伸べられる。
それに逆らう方法を見つけることはできず、は司馬懿のすぐ傍まで歩を進める。
墨の香りのする指先が少女の頬をなでる。
「あれ?」
は気がつく。
墨の香りと混じって、それ以外の香りがするのだ。
甘くて、少女にとってなじみのある。
砂糖とバターをたっぷりと練りこんだ小麦菓子の、そんな香りだ。
「これが欲しかったのであろう?」
青年は袖から、小さな紙包みを出し、少女の手に乗せた。
大きさに合わない軽さは、やっぱりお菓子だった。
甘い香りが強くなり、は途惑う。
「気が向いただけだ」
司馬懿はためいきまじりに言った。
「お菓子」
少女の唇が嬉しそうにほころぶ。
「わかりやすいほうが、誤解がない」
青年は独り言のように呟く。
「?」
「こちらの話だ」
「ありがとうございます、司馬懿様!」
「礼なら、こちらのほうが良い」
墨の香りに染まった指先が少女の唇をなでた。
ビクッとは肩を揺らし、いつでも逃げ出せるように腰を引く。
「今日ばかりは、お前に合わせてやろう」
司馬懿は薄く笑うと、筆を取った。
それに、は安堵の吐息をつくのだった。
一月前、チョコレートにこめられる「気持ち」が欲しかった。
その「気持ち」は、手に入れることができた。
だから、目で見てわかるように「気持ち」を形にした。
なんていう司馬懿の少女趣味な感情は、もちろんにはわかるはずもないことだった。